「すみません」より「ありがとう」
遜るより感謝した方が言われる相手も伝える自分も気持ちが良い。
僕は最近、「すみません」という言葉が気がかりになっている。
どう気になるのかというと「すみません」を多用する人が多すぎるということ。本当に多い。
相手が落とした物を拾って渡したら「すみません」。狭い通路で相手を先に通したら「すみません」など「すみません」は日常生活の様々な場面で聞くことができる。
でも自分も今までを振り返ると「すみません」を多用している。無意識に。
しかし、今僕は意識をして「すみません」を発するのは必要最低限に留めている。
「すみません」には元々2種類の意味がある。気持ちが済まないという自分を遜る意味と申し訳ないという謝罪の意味。
今回挙げたよく言われる「すみません」は前者の遜る意味で、「すみません」を多用することが自然に自分の価値を下げている習慣になっていないかということで気になっている。
だから僕は謝る時以外は意識的に「すみません」を使わないようにしている。
例えば、落とし物を拾ってくれたら「ありがとう」、狭い通路で僕を先に通してくれても「ありがとう」を伝えたい。
やはり「すみません」と自分を遜るよりも「ありがとう」と相手に感謝した方が相手も自分も気持ちが良くて生産的だから。