誰かのため=自分のため
特定の相手のことを思って自分を変えるのは、自分を大事にできている証だと思う。
没頭できるモノがあることは豊かなことだ。
今夏からお付き合いをさせていただいている恋人の存在は僕にとって非常に大きな存在なようだ。
今、僕は恋人から愛想を尽かされることが一番怖い。人の存在の影響力は大きい。
手放されるのが怖くなるほど夢中になれる恋人の存在を感じれる僕は人として本当に幸せな者だと思う。
人がたくさんいる街中では僕を手をつなぐことを恥ずかしがってくる。僕と恋人関係であることを周囲に公開することを躊躇しているのだろう。
とは言っても、恋人が照れ屋だとか恋人の問題ではない。僕が恋人にとって周囲に自慢したくなるような存在に到達していないことが問題だと僕は考えている。
もし恋人が今の自分に物足りなさを感じていてもお付き合いしてくれるのは僕が成長を続けてより、良い幸せをもたらすだろうと期待をしてくれているからではないか。そう僕は勝手に考えている。その期待は裏切れない。
ただ、こんなことを言うと「自分の意思を押し殺して相手に迎合しているだけ」「自分を見失っているのでは」と思う人もいるかもしれない。
そうではない。お付き合いしてくれるから今のままで良いのではない。
恋人が僕を周囲に自慢したくなるような気持ちになったら人として更に次の次元の幸せを一緒に味わえるのではないだろうか。
例えば、車を運転できるようになりたいと念じているだけでは運転できるようにはならない。勉強して何度も練習しないと運転できる状態にはならない。
今の自分から新しい自分に変わることは必要なんだ。彼女の期待に応えることが僕が自分への期待に応えることにもなる。
僕は彼女の見ている世界にもっと奥に入り込んで一緒に味わいたい。
くまえひでき