青いクマが大好きなモノに囲まれて暮らすために通った跡

青いクマ〈未熟なくまえ〉が大好きなモノに囲まれて暮らすために自立を目指した課程の跡(記録)です。今を生きる人間としてその生き様を通して何かしら良いきっかけを与えられたらと思いこのブログを始めました。

何かを失って何かを得ることの正体は。。。

僕たちは毎日、何かを得るために他の何かを手放しています。何かを失うことで他の何かが得れれます。

得ようとしているものは自分にとって価値の高いもので、失うものは自分で価値が低いものです。

何かを得ようとして何かを失うというのは、必ずしも何か自分の大切なものを犠牲にすることではありません。

ただ僕たちは自分にとっての価値の高いものを増やすことの繰り返しを日々行っています。ただ自分の好きなものに囲まれたいんですよ。


昨日、スーパーでのレジの会計で笑顔の良い女の子の店員さんだったので嬉しくなりました。

しかしその直後、自動精算機があり そこへ誘導されました。バーコードの読み取りは人がやって、お金を出すのは自動精算機相手だったのですね。

その笑顔の良い店員さんはどんなお釣りの渡し方をするのだろうと楽しみにしていた矢先だったのでがっかりしました。

レジの人によってお釣りの渡し方は様々なので、僕は普段の買い物でよくお釣りがわざと出るようにして清算を楽しんでいます。

お客の手に触れないように小銭の端っこを持ちながら渡す人。逆に片手で小銭をお客の手のひらに置き、同時にもう片方の手をお客の手のひらの下に潜らせて添えて渡す人もいます。

女の子の店員さんに後者の渡され方をされたこともありますが、その時はとても感動しました。


自動精算機の導入が進むほど効率的して楽で便利になるかもしれないけど、その分、人との間で起こる温かい物語が産まれる機会も減ってくるのは少し寂しいなとも思いました。

見渡せば、自動精算機を導入しているスーパーも最近は増えてきましたね。多分、店側の業務の効率化をはかるための施策の一つだと思うけど。

更に将来的にはスーパーでの清算は完全に機械がやるのが常識になるのだろうと思います。

AIや機械に取って代わるお仕事の一つとしてレジがありましたのを思い出しました。

でもそんな時代だから逆に、人の手で清算するお店を自店の特徴として差別化し、公に認知してもらうこともできるかもしれません。

これは人と人との触れ合いに重きを置いた結果です。逆に多くのスーパーは効率を重きに置いているから精算機を導入しています。

つまり、何を重きに置くか、どんな価値観を大事にするかの違いだけで失うと得るを繰り返していることに変わりはありません。

その上で僕は何を得続けて何を失い続けるのだろうか。思いに更けてみる。。


くまえ ひでき