青いクマが大好きなモノに囲まれて暮らすために通った跡

青いクマ〈未熟なくまえ〉が大好きなモノに囲まれて暮らすために自立を目指した課程の跡(記録)です。今を生きる人間としてその生き様を通して何かしら良いきっかけを与えられたらと思いこのブログを始めました。

良いイベントは主催者と参加者 皆で創られる

今は兵庫県加西市でに1泊2日中のくまえ ひできです。

マチホメというコミュニティによる加西市地域資源を盛り上げるフィールドワークに参加しています。

現場では地域を盛り上げようと奮闘している方々の生のお話を通して、実際の取り組みや課題など知ることができました。

今回良かったのは単なる観光でなく、現場の有り様を知った上で自分ができることはないかを模索する機会となることです。

なので、お話を聴いたり現場を見て「だったら自分には何ができるだろう」を繰り返し問いかけてばかりでした。

もし今回単なる観光として来てたら「凄いね」「大変だね」で終わりそうです。
勿論、観光目的で感想で終わること自体が問題とは思いません。

しかし、今回はあくまで自分のできることを見い出すフィールドワークに来ています。「自分には何ができるだろう」まで限りなく考えて今回の機会も価値を限りなく高められます。

良いイベントとは主催者と参加者 両者が良いイベントにしようとと盛り上げて初めで良いイベントになります。

引き続きフィールドワーク、楽しんできます!

取りかかりが早めるには

僕は取りかかりが遅いのもあって、最近までは就寝が3時4時になることも少なくありませんでした。翌日仕事があることもあるのに。くまえ ひできです!

昔、夏休みの宿題も夏休みが終わる一週間前頃から詰めてやっていました。


そんな取りかかりが遅いことで起こることは。。。

・全体の作業量がへる
10の時間があって1から始めた人は10の時間全てを使えます。しかし、7の時間から始めた人は7、8、9、10と4の時間しか使えません。なので作業量は減ります。

・失敗してやり直す時間を確保できない
時間ギリギリになって始めて失敗したらアウトです。失敗は許されません。

・余裕を失う
上記のような状態なので気持ちもハラハラしてて余裕はないですね。


わー。取りかかりの遅さでもたらされる弊害を考えるとスロースターターは卒業しなければなりませんね。

やはり取りかかりを早めた方が良いパフォーマンスができるのは頭は知っています。


そこで取りかかりを早める対策を考えました。。。

・雑、不完全でいいのでやってみる
やらないことには始まらない。1と0の差は全く違いますからね。理屈は関係なくやると決めたらやると素早く突っ込むのがいいかもしれません。

・現時点から予定を次々詰める
洗濯機にたくさんの洗濯物をぎゅうぎゅう押さえながら詰めるように予定を入れます。そして後ろの方に空き時間をつくることで気持ちとしても余裕をつくります。

・広く浅くを繰り返す
A、B、C3つの作業をやるなら各々1割りを全てやる。次にまた次の各々1割りを全てやる…の繰り返しです。
3つの作業を順番にAから10割やって、次にBを~では後のCがわからず未知数ですから時間配分も難しいです。

以上です。

これも僕はまだ実行始めで実績はないですが、記事にまとめたことを軸にスロースターターを卒業してみせます!

自分に変化を感じられる瞬間は

先週 風邪をひいて、今週たま風邪を振り返しました。それにより健康状態がどれだけ有り難いことか実感しました くまえ ひできです!

今回の風邪はさすがに身体に効きました。何もできないくらい吐き気に襲われた。スマホやパソコンの画面見ても、歩いても、座っていても気持ちが悪かったです。

そんな状態を体験して普段、普通に起きて動いて寝ることのできることがどれ程素晴らしいことか思い知らされました。

よく「失って初めてその事の大切さがわかる」と言われます。

失うというのは手放したらもう二度と手元に戻ってこないという意味合いが強いのではないでしょうか。

実際に視力の低下を「視力を失う」と表現したり、死ぬことを意味する「命を失う」と表現します。

そう考えると回復の見込みのある風邪で健康を失うというのも少し大袈裟に感じられるかもしれません。

それでも、僕たちの普段の日常の中でも大きな出来事が起こらなくても何かを手放す出来事は色んな場面で起きているのだと思います。

更に手放すってことはその代わりに何かを得るってことでもありますよね。

変な表現ですが、僕は健康を手放して風邪の症状を得ました。

そして今は風邪の症状を手放しかけて健康を得ようとしています。

そうやって僕らは常に何かを手放しては何かを得るの繰り返しで生きているんですよね。

そんな流動的な日常の中から自分がずっと手放したくない価値を見付けて必至に離さない。その時 僕たちは自分に変化、成長を感じるのかもしれません。

お誘いを断られる3つの本当の理由

知り合いをイベントなどにお誘いするとき、そのお誘いの内容云々よりもお誘いする人次第で大きく違うと実感します。くまえ ひできです!

今週末に兵庫県加西市で地域活性のためのフィールドワークに参加します。

参加者する人皆の活躍を加速させるような内容だったので興味ありそうな人など数人に一緒に行こうと声をかけました。

ですが、一緒に行ってくれる人が締め切りまでに予定よりも集まりませんでした。そもそも、フィールドワークは今週末というのに先週末に声をかけるのは遅すぎるというのもありますが。。

でも、今回のこの結果は僕の普段の周りの人との関係性の現れだと思っています。僕が声を上げたら集まってくれるような関係性を築いてないだけです。

お誘いを断られるにしても人の数だけ断られ方があります。そこにはその人の背景だったり、その人と自分との関係が大きく関係しています。

オブラートに包んで断っても実際のところ、本当はどうして断ったのだろうかということを僕は考えます。メールなら文章、対面なら見聞きできる情報で察します。

そこで相手は本当はどうして断ったのかの理由を3つまとめました。

【断られる本当の理由】

●自分の状況に余裕ない
経済的、精神的な面で余裕ない。これは僕は誘われる側として結構あります。誘われた時に経済的に厳しくて参加できず、そのお金で他に自分にとって必要な物事に使うという場合。誘われた内容の緊急性低いんですよね。

あと、精神的に追い詰められている時もそれどころではないですね。本人が誘いに乗って元気になる見通しがあることだったら勇気持って参加するでしょうね。そう感じなければ自分のことをコントロールすることの方が優先だと思います。
その人その人のその時々の状況によって優先順位は変わるものなので見守っていたいですね。


●誘われた内容に参加するほど興味ない
上に似ていますが単純によく知らないということです。違いは誘われた側が上より自分が切羽詰まって追い詰められていないことです。

参加する余裕はあるけど、わざわざ時間やお金、労力をかけて参加するほどではないのです。

よく知らないのは誘う本人や誘う内容との接点がないからです。なので、日頃から接点をつくって触れる機会を増やして
沢山の情報を与えることは興味付けにつながります。


●自分だから
断った人は誘った自分に興味がないということです。自分に対する優先順位は低いですね。

これはまだお互いがお互いを理解していない時期に誘ってみるとよくわかります。相手は誘った人のことを知らないのでいきなり誘われたらビックリします。突然どうしたと。

誘った内容がどんなに素晴らしく有益なものであっても、誘った人がどんな人か知らないので不安になります。

不安もあれば、「誘った人は何を企んでいるのだろう」と悪く考えて疑うことだってあります。誘った人のことを知らないのですから当然ですよね。

だからそこ、逆にある程度お互いがお互いを理解している状態の人からのお誘いは受け入れやすいのです。

あの人はいつも周りの人のために頑張っている人だからきっと今回も僕のためとなる価値を届けてきてくれたんだろうなとなります。あまり誘った内容を理解できてなくてもです。

商売の世界でも聞いたことはありますが、何をするでなくで誰がするの点が大きく影響していますね。だから普段の人間関係が人を集めるいざという時に浮彫になります。


まとめ
・自分の状況に余裕のない人とも普段から関係性を築いていたら事情を考慮した上で適切なお誘いがしやすくなる

・普段から自分から自分の取組み表現したり良い情報を公開していたらその分野に興味ある人たちも自然に集まってくる

・普段から周りの人との交流を頻繁にしていたら自分に興味持ってくれる人も増える

以上です。全て「普段の行い」が誘った時に大きく影響していますね。
人をお誘いするっていうのは考えたら深いもんです。

ブレる気持ちをブレない気持ちにするためには

「毎日やることリスト」を挙げた後もできていない事が後を絶ちません!くまえ ひできです。

三日坊主もあれば一日坊主も、更にゼロ日坊主もありますからね。

確かに僕は意思が弱いから結構色んな事が長続きしません。

その時々の状況に影響受けて感情に振り回されてやったりやらなかったりブレます。

更に結局やらなかったら後から不快感を抱き後悔するのはわかっているのに繰り返しちゃいます。

でも、意思が弱いなら強く持とうではしっくりきません。

では、どうしたらその時々の感情に振り回されずに動けるのか考えて、今日(この記事書いている時点で昨日になりましたが)ある事に気付きました!

それは自分のイメージできるやりたいことや欲しいものが明確であり、その対象への道のりが明らかにすることです!

自分のワクワクする物事ために「毎日やること」があり、自分のワクワクする物事が原動力になって動けるという状態です。

自分とワクワクする物事と手段の「毎日やること」が一本の針金で繋がっているイメージです。

例えば、
僕は3万円のウォークマンが欲しい。そのウォークマンに大量の音楽を詰め込んでいるのをイメージするとワクワクする。

そんな状態になるために今できることとしてはウォークマンを買うための貯金。
その貯金の方法は毎日500円を貯めること。

。。すると60日間で3万円が貯まるので約2か月間毎日500円を貯めるという「毎日やること」ができます。

日常生活で500円あればちょっとしたお菓子や惣菜も買えますよね。だから、ちょっと小腹が空いたらついついその500円を使っちゃいます。

でも、その500円が自分の欲しいウォークマンを手に入れる一部になるのだとその500円の役割を明確にすることで食い止められる。結果、毎日500円を貯めて2か月後にはウォークマンを楽しんでいる。

そんな仕組みです。

とは言ってもこれは今回考えて実際にやるのは今からなので実証済みではないです。でも色々試行錯誤している人にとって一つのヒントになるかもしれないから実証前からお伝えしました!

仮に僕ができても人ができるとも限らないし逆もまた然りですからね。

考えただけのことでもまず表現しないと何も起こらないものです!

何故、蓮は汚い泥中で清らかな花を咲かすのか

そういう設定だからです。くまえ ひできです!

僕はこれまで進学や就職、転職、その他もろもろ自分で決めることを周りの意見や価値観に流されて決めてきました。

今は昔に戻ってやり直したいと後悔しています。しかし勿論戻れません。だから、現実を直視して今の現状をいち早く変えていかないといけません。

僕の場合は生活や支払いのために働くという在り方を脱する。そして場所にこだわらず、働きたいと思った人たちと働けるようにならないといけません。

そのために僕はどう在るべきか。ふとある花のことを思い出しました。それが蓮の花です。

蓮の花は「一蓮托生」や「泥中の蓮(はちす)」など仏教関係の花としてよく出てきます。

蓮の花を改めて調べてみたら、蓮の花は汚ければ汚い程 大輪の花を咲かせることができるとのこと。
(参考 https://joyfulday.info/archives/1671 )

それが蓮の設定です。

つまり、僕もどんな環境に身を置いても自分の掲げた在り方に向けて花を咲かせる。そんな設定でいくことです。

今回は特に抽象的な概念の話だけでしたが、それだけでも心持ちは良好になりますよ。

自分の意思に従った方が健康的

先日、体調崩して寝込んでゴミ拾いができませんでした。くまえ ひできです!

あと、このブログにしてもそうですが、前回「毎日やることリスト」で挙げたものが中々できずに滞っています。

http://aoikumanoato.hatenablog.com/entry/2017/10/07/010705

色んな状況が重なって仕方がないよね。。で済ますこともできます。

実際に今日は止めておこうと思った瞬間は仕方がないよねでしっくりしていました。

でも、後になって自分の中で悶々としてきました。
他人に言われたことならまだしも、自分の意思で決めたことなのに出来ていないのが胸糞悪い。

その時々の環境や状況がどうであっても、自分のやると決めたことをやりとげた先には、、

何が見えるのだろう。

何を感じるのだろう。

何が起こるのだろう。


今となってはそこに惹かれています。流されるように惹かれていけば良いのです。

好きなものは好きでいい。

やりたいことはやればいい。

欲しいものは手に入れればいい。


例えば、このブログ。

一日を振り返って今日はダメダメだった。だから発信者として自分は誰かのためになるような内容を発信できないので止めよう。

文字で表現することが本当に嫌いならやらなくて良いですよね。でも、僕は少なくとも興味あるからブログを開設しているのです。

やはり自分のその時の不調を言い訳にして書かないを選択するとその瞬間ホッとします。でも、自分の気持ちに嘘を付いているので不快感は残留します。

不調であっても書きたいのが自分の気持ちなら素直に書けばいいのです。そう自分にも言いながら今このブログを書いています。

試行錯誤し心身に鞭を打ちながら素直に惹かれたものに導かれて行くのはある意味、健康的な人の在り方なのかもしれません。