ゴミ拾いをやる意味の移り変わり
ほぼ毎日家の近所でゴミ拾いをしていますが、今回はちょっと離れた地域で行いました。
しかも最近で知り合った女性が僕のゴミ拾いに共感してくれて参加してくれました。
その女性とは5円食堂という飲食店イベントで知り合ってゴミ拾いのことを話したら「自分の地域でやる時はやってみたい」を言ってくれました。
なので、今回は家の近所でなく違う地域でのゴミ拾いでした。
日曜日の朝、本来なら家でコーヒーを飲みながらゆっくりと過ごしても良いのに敢えてゴミ拾いに参加してくれたことに感激しました。
自分の取り組みに共感してくれたため参加してくれました。
そもそも僕がゴミ拾いを始めたのは仕事も他にやることもなくただ引きこもっていた今夏にそんな自分でもできることはないかと思い付いてからです。
単にゴミを拾うだけでなく、自分を外の世界に一日でも早く馴染ませようということで通行人に挨拶もしてみました。
通行人に挨拶したら「ご苦労様」「ゴミ拾いありがとう」と言われることもあり微力でも役に立てているのだということも実感できました。
そんな経緯によりゴミ拾いを通して近所での挨拶が定着、近所との関係が築けて個人が孤立しない糸口になるのだ。
そこから都市部でも近所同士で支え合う地域環境を創る一助となれると考えました。
しかし、ゴミ拾いの様子をSNSで挙げながら更にゴミ拾いを続けていくと徐々に僕のゴミ拾いが知っている人が増えていってます。
周りの人たちからは行動して続けられて凄いとそこを評価してもらうことがよくあります。確かに自ら行動を起こして更に続けるって簡単な内容でも意外と難しいですからね。
ただ、そこから気付いたのがこのゴミ拾いを通してどんな人でも、たった一人からの小さなスタートであっても地域のためにできることはあるというメッセージを発信できるということです。
そのためゴミ拾いも自分のできる範囲でゴミを拾うようにしています。
拾ったゴミを自分で持って帰り破棄するので、それが難しいゴミは拾いません。
タバコの吸殻一本拾うだけでも自分のできることを始めていることになります。
全くやっていない時の0とタバコの吸殻一本拾った時の1は全然違う。その事を強調しながらこれからもゴミ拾いに取り組んでいきます。
自分のためを超えた先に他人のため
昨日やることリストを挙げてみて、~できるようになる!と自分にベクトルばかり向けていると「自分の事しか考えていない」「周りのことまで考えていない」と捉える人もいるかもしれません。
こんにちは、くまえ ひできです!
一見自分の事しか見えてない、考えていないように見えるかもしれませんが、違います。その程度に留まりません。
自分が目標を達成したり何かをできるようになることの先に他人のため世の中のためがあります。
どんなに他人のため世の中のためと思っていても思うだけなら何も始まりません。やはり自分に何かしらの力を身に付けるしかないのです。
勿論、他人を蹴落としたり騙したりして自分のために動くことは独りよがりであり自他共に良いことは起こりません。
なので、自分のためと力をつけることによって、その先どのように他人のため世の中のために繋がるのかイメージまでした方が良いです。
自分が目標を達成したらどのように達成したらいいのか人に導くこともできますし周囲も「自分も頑張ろう」と希望になりなります。
自分が何かをできるようになれば、その分周りの人たちの悩みや困りごとに寄り添って解決することができます。
僕の場合は例えばゴミ拾いは自分のできることを増やすために行っています。更にそれに留まらず、ゴミ拾いを頻繁に行う様を見て自分一人でもできることを新たに始めようとする人もいるかもしれません。
他人は自分に関心ないとも言われますが、他人は自分を意外と見ているとも言います。
誰かが自分を見て良い方向に感化されている。周囲にそんな影響力を与える自分になれるって良いなと思います。
毎日やることリスト
新しい仕事を始めてから、色々やることや仕事の時間が増えてライフスタイルを見直す時期になりました くまえ ひできです!
前回は仕事から帰ってゴミ拾いをしようと思っても、いつの間にか眠ってしまいました。。。
今のままでは外で仕事をやって帰って家では食べて寝るの繰り返しです。
僕は最近になって場所に縛られないライフスタイルを実現しようと決めました。
なので、現在のライフスタイルのフリーの時間をどう使うのかが今後のライフスタイルを決めていく鍵になります。
まず、その限られた時間を使い毎日行い習慣化することをリストにしてみました。
これだけのことは最低限やるというリストです。それさえできたら残りのフリーの時間は本当にフリーです。
・ゴミ拾い(20分)
・部屋の掃除(10分)
・メルマガ読んで一記事一つやること増やす(9人分)
・ブログ読んで一記事一つやること増やす(7人分)
・本読んで一冊一つやること増やす(三日に一冊)
・ブログを一日一記事書く
・Facebookで一日一投稿以上書く
・割り箸使った笑顔の練習(料理や食器洗い時)
・外郎売を読む
以上です。やることリストは今はこれらのみですが、今後日に日に増えていきます。
しかし同時に減らすことも目指します。減らすということは毎日の習慣として完全に定着することを意味しています。
リストに挙げなくても自分の身体の一部の様に定着できている状態がゴールです。
やらないことリストもあるみたいですが、今はやることに集中してみます!
0と1の差を表すゴミ拾い
先日まで続けていたゴミ拾いを昨日の金曜日初めてお休みしました。くまえ ひできです!
今までゴミ拾いを毎日継続することに執着していました。更にただ惰性やっているだけ、単なる自己満足に陥っていたので嫌気がさして中断して頭を冷やすことにしました。
始めて数日程度なら単に継続するだけでも凄いなと自分でも実感してきました。でも、一か月以上経った今となっては継続すること自体に意味は感じなくなりました。
このゴミ拾いはFacebookなどのSNSで記録としてよくゴミ拾いの投稿をします。そこでは周りは続けていることに対して凄いと褒めてくれます。
褒めてくれて嬉しいし、続けること自体は確かに凄いのだけど、ただその状況に留まっている感じがしてそれでも続けたいと思わなくなりました。
そして、最近 数日間ゴミ拾いを離れたのですが、ゴミ拾い休んで良かったです。
またゴミ拾いはこの記事を書いた後すぐに再開しますけど。
継続してきたことに対して評価してくれた人にとってはゴミ拾いを中断したことはガッカリなことだと思います。
その点の期待に応えられなかったのは自分でも残念ですし申し訳ないです。
ただ、ゴミ拾いをやっている自分でなくやらない自分として客観的に自分のゴミ拾いを見直す時間になったのも確かです。
これからは僕はこのゴミ拾いを通して誰でも些細なことでも自分の役割を拡大させることはできる、0と1の差は大きいことを表現していきます。
どう表現されるのか今後の展開をお楽しみに!
気持ちが不安定な自分を抜け出すためには
損得に執着し過ぎず、行動した過程に価値を見出してみることです。お疲れ様です、くまえ ひできです。
効率良く早く成果を出せることは良いことだと思いますが、それに執着し過ぎると自分が不安定になります。
不安定になると起きた出来事に一喜一憂して焦ったり、狼狽えて自分の判断や行動に影響が出るようになります。
僕の場合はやるべきことがあっても行動を起こせずにただ時間だけが過ぎるということが多々ありました。
そこから切羽詰まったものの振り切って気付いたことが今まで僕は損得に執着し過ぎだったということです。
損得で選ぶこと自体は大切なことですが、そればかりに執着してしまうと行動が鈍くなります。
なので今は損得の結果以上に行動した過程に対して価値を考えることにしています。
すると、少しずつですが行動量がまして取り組みが加速してきました。
半月以上前から毎日取り組んでいるゴミ拾いも行動した過程に価値を見出す取り組みの一つです。
ゴミ拾いを行うことですぐに何かの成果や利益に結び付くことはありません。
ただ、毎日積み重ねているという事実が自分に自信を与えてくれます。
僕はすぐに成果や利益に結び付かなくても辛抱強く生きていることができるんだと。
因みにゴミ拾いを始めてから友人の勧めでイエローハットの創業者である鍵山秀三郎さんの本などの情報に触れるようになりました。
鍵山さんの情報を色々見ていると「大きな努力で小さな成果を」というフレーズが目がとまりした。
これは『小さな成果に甘んじるということではなく、小さな成果にも耐えていけるような気持ちを切り替え、生き方を安定させていく』(「掃除に学んだ人生の法則」致知出版社 P27)
ということです。
つまり、周りの環境や状況に左右されずに自分の取り組みの価値を見出すことで、揺ぎ無い自分を確立していきます。
じっと待っていても時間だけが過ぎるだけです。なので非効率で小さな成果しか得られないことであっても、自分のできることであるのなら是非やってみると良いですね!
ゴミ拾い続けて良かったこと3つ
近所のゴミ拾いを先月中旬から毎日始めてから43日が経過しています。くまえ ひできです。
あ、43という数字には特別な意味はありません。記事を書いた時点でのゴミ拾い回数が43回というだけです。
時間帯はバラバラですが1日30分間自分の家の近所で個人が管理し破棄できる範囲内でゴミを拾っています。例えば、タバコの吸殻や缶、ペットボトル、食べ物の袋など。
更にゴミを拾いながら通行人とすれ違った時に挨拶をやるようにしています。
そんなゴミ拾いを継続して良かった点を3つ挙げてみます!
○一つの事を継続して習慣化できる
僕は元々色んなことが続かずに習慣化するのが苦手です。でも8月中旬から始まって毎日継続できています。自分の意思でやると決めることができたから続けられています。あと、ゴミ拾いをしながら挨拶をすると「ありがとう」と返ってきてそれが嬉しいのもあります。
○得られる成果が小さくても自信に繋がる
一人で30分間、自分の拾えるゴミのみ拾っても地域の美化には到底遠いです。ゴミ拾っても翌日にはすぐに散らかることはよくあります。
「だから無駄ではないのか」というと、違います。ゴミ拾いを行ったという事実が自分を揺るぎない自信に導きます。
○自分が携わる一つの分野を新しく築ける
ゴミ拾いに関わって自分の改善以外にゴミ拾いの活動を通して自分は地域に何をもたらしたいかを考えるようになりました。
僕は挨拶とゴミを拾う習慣が定着することで近所との関係が築け、各々の孤立化を見直すの糸口にしたいです。
そして、都市部であっても近所同士で支え合う地域環境をつくる一助となりたいという基盤を築きました。
単なるゴミ拾いでも展開していくと無縁社会の見直しも視野に入れるようになり世界がひろがります。
以上です。今後も継続していけば、更に恩恵を感じることになるでしょうね。
○まとめ
ゴミ拾いをやったら。。
・継続力を付けて習慣化がしやすくなる
・気持ちの安定感が増す
・一つの分野を基盤として様々な分野への進出の兆しができる
苦しい時こそ自分を拠り所に
販売の仕事の研修期間中ですが、同時に実際の販売現場となる店舗を数件面接を受けているところでもあります。くまえ ひできです!
でも、中々決まりません。商品やサービスで覚えることも沢山あり圧倒されて正直及び腰にもなります。
このような様で不安ばかりですが、今回は研修担当者の指導の下、立ち振る舞い方など色々試行錯誤して自分を改良中です。
今まででしたら、現状を見て無理なんだ、合わないんだと諦めていました。しかし、僕の場合は今諦めてしまったら今までの自分を延長せるだけで何も変わりません。
僕はどう変わりたいかというと自由になりたいです。特に仏教用語として自由を解釈した場合の自由を望んでいます。
仏教用語としての自由とは自分を拠り所にするということです。自由の「由」には拠り所という意味があります。
よく見聞きする自由の解釈で「自由には責任が~」などもありますが、自由という言葉をそのまま用いた「自分を拠り所にする」という解釈が僕はしっくりきて好きです。
仏教用語としての自由はyoutube動画にて大愚元勝さんの番組「一問一答」を視聴して知りました。
『「自由」の本当の意味を知っていますか? 』↓
https://m.youtube.com/watch?v=dp78S7NDv0I
この番組はお坊さんの大愚元勝さんが仏教や本人の経験などから視聴者の悩みを解決に導く番組です。
動画はたくさんあって、共感できる悩みもいくつか出てくると思いますので視聴おススメです!
今不安いっぱいで課題もたくさんあったとしてもそれらを自分で着実に乗り越えていくことで限りなく頼れる自分に近づきます。
自分が拠り所になっていれば環境がどうでも、状況がどうでも、立場がどうであっても怖いものはありません!
そんな境地では僕は何を感じて、周りがどう見え、周りからはどのように映るのか。自分の知らない世界としてとても興味があります!