自分を守らない方が良いらしい
ネット上で知り合った人とお茶やご飯することが以前より増えた。くまえ ひできです。
ネット上でメールでやり取りをしても、メールは文字だけの表現だからその奥にある生身の人間の様子まではわからない。
でも、実際会っての対面だと相手の色んな情報を全身で感じることができ、自分も自分の色んな情報を全身で晒してしまうことになる。
だから、相手はどんな人物か、自分は相手からどう感じられているかが一番筒抜けになると実感した。
そんな意味で対面で人と会うって面白いし、今後はもっと積極的にやってみたいと思う。
元々、対面で人と会うことは元々面白いと思えなかったし、緊張して負担にしか感じなかった。
自分が緊張することで相手も緊張させてやり取りがぎこちなくなることもあった。
なぜ緊張したかというと自分が相手にどう思われているかが気になったため。ほとんど自分に意識が向いていた。相手を見ず自分を守ることばかりに気にしていたから反って苦痛になった。
でも、最近は自分と会ってくれる相手にとって会っている時間を良い時間として残してもらうためには?
という意識を持って人に会うようにしている。すると、自分への意識よりも相手への意識に集中していくのを実感できる。
相手への意識に集中できると冗談も挟みながら自分の持っているものを全面的に表現しやすくなる。
自分に不器用、気が利かない点があると自覚していても、目の前の相手に対して出来ることは何かに頭をフル回転させるしかない。
僕は対面で人と関わることの楽しさを垣間見た。相手のためにとはどういうものか感覚を少しずつ掴めるようになった。
ネットで知り合い、初対面でお会いできた人たちのお陰だと思う。
青の可能性
丹羽宇一郎さんの「死ぬほど読書」という本を読んだ。くまえ ひできです。
この方の本は「私は~だと思う」という自分の主張を読者に押し付けないのが好感を持てる。
人の経験や体験、物事の原理原則は判断する上で役に立つ。しかし、それらが正解、正しいと安易に言い切るのは面白みを感じない。
例えば、集団になると怠けやすくなる「社会的手抜き」という現象があるけど、人の多い集団の中に自分がいるから自分も他者に依存して怠けるものだ決めつける必要はないと思う。
確かに傾向としてそのような現象は起こるだろうが、だからと言って自分を無闇にそこへ当てはめる必要はない。自分が怠けてしまう環境でも誰から期待されなくても主体的に動いていきたいなら動いていくだけだと思う。
そして、参考になる経験や体験、原理原則を無視することで人間の可能性、伸び代を感じる。
本にも書いていたけど、人間が知っていることは世の中の物事全体から考えるとほとんど知らないに等しい。人間の心身についても、宇宙についても、海底の世界についてもわからないことばかり。なのに、「人間とは~だ」など言い切るのは浅はかでそれ以上の可能性を感じない。
自分の知の外側は得体の知れない世界だからそこに新しい可能性を期待してしまう。
また、建築家である安藤忠雄さんの青いリンゴのお話を思い出した。リンゴは青いままが良いとのこと。青いとは未熟のこと。だからこそ伸び代や可能性があるのだということだと思う。
僕のブログのタイトルにも「青いクマ」と自分を未熟者として表現している。元々は成熟を目指していこうという気持ちがあったのだけど、青いまま良いやと思えた。
未熟、無知、未完成は僕に光を示してくれる在り方だと気付いた。
参考文献
・書籍「死ぬほど読書」(幻冬舎) 丹羽宇一郎著
https://www.amazon.co.jp/dp/B07436NSJZ/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
・ネット記事
安藤忠雄さん、未来への提言「青いりんごであれ」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO21770600S7A001C1000000?channel=DF171020161225
まずは自分と向き合って
先日ネットで、
カット料金1万2千円でもお客さんがたくさん来るという美容院があるという記事を見つけてギョギョっとした。くまえ ひできです。
コンビニよりも圧倒的に店舗数の多い飽和状態で有名な美容院だからその記事が気になった。
メインの顧客は男子学生や社会人1,2年目の男性でスタッフは技術でなく自分の経験や生き様を売っているとのこと。整髪のための技術はもはやオマケだなと思った。
そんなスタッフに普段は誰にも言えない自分の悩みや夢を打ち明けることができる機会として背中を押してもらっているお客さんが多い。そこに1万2千円ほどの価値が込められているのだと思う。
接客業として傾聴は当たり前だけど、若いお客さんがその美容院のスタッフに悩みや夢を打ち明けられる存在になったのは、
そこで働いているスタッフ自身も悩みや夢を開示することできるからだろう。
実際、この美容院を運営する会社では社内で自分の志を社員全員で共有して応援する組織づくりを徹底しているらしい。
夢を持て!などは色んなところで聞くが、夢をかかげることのできる環境や機会を仕組みとして実際に形にできるのはやはり凄い。
僕は会社の経営はしていないが、個人の僕もこの在り方は参考になった。どう参考になったのかというと、相手と信頼関係を築くにはまず自分自身も自分の悩みや夢に向き合って納得できる解を見出すことだと感じた。
その解は主観的なものでその時々で変化するものでも良い。ただ、その時々に信じているものがあって、その時々に自分の信じるものに向き合って貫くことができたら、僕にも相手が夢や悩みを共有してもらえる機会が出てくると思う。
そして夢や悩みをしっかりと話してくれる人は自分を信頼できる人なんだと思う。
なので僕ももっと自分の夢や悩みと向き合って解をより鮮明にしてみる。
『カット料金「1万2000円」でも若い男子が殺到する美容院の秘密』より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55501
自分の持っているものを投げ出してみる
自分が得をしよう、見返りを得ようでなく自分のことを後回しにした方が上手く物事が回りそう。
昨晩、福厳寺住職の大愚元勝さんの動画を久しぶりに観ました、くまえ ひできです。
とは言っても損得勘定を捨てる、見返りを求めないこと自体はできないと思う。やったことに対して金銭や何かしらのお返し、感謝の言葉など受け取るものをイメージしてしまう。だから「無償の愛」という言葉もあるが、本当に無償な愛は無いと思う。
損得勘定で考えたり、見返りを求めることは人としてのいやらしさを感じるがそれら自体にいやらしさが含まれているかというとそうは思わない。損得勘定で考えたり、見返りを求めること自体は人として自然なこと。
損得勘定や見返り自体を否定するのではなく、それらを強く求める、つまり期待することを止めればいやらしさを感じることはないと思う。 自分がやったことに対して見返りを求めていることは客観的に認める。でもその見返りを得ることに執着はしないということです。
それができると本当に周囲のことを思って、自分のことを後回しにしてでも自分の持っているものを投げ出すことができるだろうと思う。
自分のことで置き換えると、
今僕は29歳の年齢にしては頭髪に白髪が目立つ。それに対して周囲からは「白髪多いね」と言われるだけで白髪をどうにかしないといけないという状況にはなっていない。
しかし、白髪が目立つと相手は「疲れているのかな」「ストレスたまっているのかな」
と無駄に心配をかける可能性がある。
その可能性を考えると今問題になっていなくてもその白髪をどうにかしないといけないという気持ちになる。
なので、白髪が含んでいても今まで支障なかったのだからわざわざやらなくていい、髪が傷むという考えを僕は投げ出したい。
値段が高いだろうが美容室などプロに頼めば髪へのダメージは軽減しやすいはず。手段はある。
それによって周囲が余計な心配をせずにいられるならそれに越したことは無い。
なので、今週中に白髪を染めに行ってきます。
「損得勘定を捨て、見返りを求めない生き方【無功徳】」(youtube)
https://youtu.be/M3aMiEezfOg
もし自分が相手だったら
先日、松久信幸さんの
「お客さんの笑顔が、僕のすべて!」という本を読んだ。くまえ ひできです。
「お金をいただけるから~」「仕事だから~」「プロだから~」という意識も大事だけど、それらに安住せず、「お客さんの笑顔や喜んでもらうために」の次元まで徹底しているのが清々しく読んでいて気持ち良かった。
僕は人に喜んでもらったり笑顔になってもらったりすることはちょっとした自分の快感や原動力だとしか感じていなかった。
でも、自分が何か与えて人の喜びや笑顔になる時は「ありがとう」と言われることが多い。ありがとうだから有り難い事なので、それこそがあらゆる取り組みの目的になるのではとイメージ膨らむ。
理想ばかりひたすら追及することは地に足が付いていないようだけど、むしろだからこそ色んな人たちに愛される存在になれるんだと気付かされた。
いくら儲けようと考えることも売れるために考えることも大事だが、それに囚われず最終目的の人の喜びや笑顔に適った行動や選択しても活路を見出だすことできるのだと希望を感じる。
そして、お客さんに喜んでもらうため、笑顔のために周りに常に気を使ったり、その時々の最善のおもてなしをするという在り方も印象的。それらを実行するためにも「もし自分がお客さんだったら」を考えるようにするということ。
察すること、気付くことって難しいけど、「もし自分が相手だったら」と普段から考えることで身に付くかもしれないと思うので普段から色んな場面で意識してみようと思う。
「お客さんの笑顔が、僕のすべて!」
松久信幸 著
ダイヤモンド社
https://www.amazon.co.jp/dp/B00N1IIFM8/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
自分に足りなかったものは何か
自責して自分が足りなかった部分をかいよ方向で進むのが良い。
最近はネットで知り合ってメールのやり取りした人と会う機会が増えた。くまえ ひでき。
初対面の人たちに会ってきて「相手の反応が薄い」「たどたどしい雰囲気」が目立っていた。
相手が人見知り、緊張しいということもあると思うけど自分が相手にそうさせているのかもしれない。
僕自身が緊張した雰囲気を醸し出すから相手にそれが伝わって相手も緊張している可能性がある。
実際、僕自身 初対面の相手から「緊張しなくて良いよ」と突っ込まれることは多い。
だから自分がリラックスして相手と接する必要ある。
自分がリラックスして相手と接するためには日頃からリラックスする状態を身につけた方が良い。
リラックスする状態を身につけるために表面から意識して変えてみる。
具体的には意図的に声を張り姿勢を正したり自分を極力大きく表現すること。
日記を書く
有益な情報を発信する意識で投稿するのでなく、あくまで自分の日記、記録のためにブログを活用してみます。くまえ ひできです。
それでも読んでくれる人にとって何かしらプラスの変化になることも充分あり得るからです。
ブログやSNSなどでの「情報発信」というのは読む人に有益な情報を発信し続けることだと思っていました。
でも「情報発信」の意味をもっと広げるとただの日記や記録も一種の「情報」だから、晒しただけで「発信」にもなるのと思いました。
自分がゴミだと思っているものや不要なものも、誰かにとってはほしいものであるように実際に提示しなければ誰に必要とされるか何もわかりません。
だから、どんな些細なことでも記録したいことは記録した方が良いです。