人の振り見て我が振り直せ
反面教師で周りから学んでいきたいです。くまえ ひできです。
昨晩、難波の道頓堀付近を歩いていると数人から飲み屋に寄らないかのお誘いを受けました。
その中の一人がひっかかりました。
店員「どこか迷われているんですか?」
僕「JR難波駅行きたいのですが、どちらですかねー?」
店員「先に一杯どうですか?」
僕「いえ、すみません、結構です」
店員「・・・・」
以上です。
ひっかかったのは2点あって1点目はJR難波駅行きたいと言っているのに無視した点。自分の主張の前に、
まずこちらの訊いていることへの回答ほしかったです。
もう1点は断った後、返事も何もなくふて腐れた顔で去っていった点。不快です。
散々言いましたが、僕自身はどうだろうかと振り返りました。僕自身、周りに対して大なり小なり嫌な思いをさせているかもしれません。
客観的に他人の不快な振る舞いを見て、自分を今一度見直す機会になりました。
日常に潜伏する旅・冒険の要素
置かれた現状自体変わらなくても、今までと違った見方や行動をしてみると見える世界が変わってくる。
アマゾンプライムにて「モーターサイクル・ダイヤリーズ」という映画を観ました。くまえ ひできです。
この作品はキューバ革命の指導者として有名なチェ・ゲバラさんの学生時代の南米旅行日記「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」をもとに映画化された作品です。
劇中の旅や冒険には上限や限度を感じなく無限の可能性を感じられる熱さが籠った作品だと思いました。
良くも悪くも色んな出来事が起こるからいつもとは違った選択や行動をすることも少なくないでしょう。
ただ、旅や冒険というのは決して色んな地域に出向いて色んな風景を見て現地で色んな経験をすることだけを指すわけではないと考えています。
どこそこに出向くというのはあくまで表面的な事柄です。
今まで意識しなかったことを意識したり、今までこだわらなかった事にこだわってみたり、そこに旅や冒険の要素があるんだろうなと感じました。
なので、知らない地域に行く行かないは自体はどうでもいいです。
単に日々のルーチンの中でも視点を変えて見てみたり、新しい行動を取ったりすることで新しい価値や課題が見出せるのではと思いました。
そう思うと、何の変哲もない日々の日常も今までと違って見えるのではないかと期待しちゃいますね。
「モーターサイクル・ダイヤリーズ」
アマゾンプライムより
https://www.amazon.co.jp/dp/B01LZBVZVQ
必要な物を手元に置き、役割を終えた物は手放す
物ってとっておきたいという気持ち、捨てるのは勿体ないという気持ちはありますが、一旦捨てると決めるとあっさりと手放せられるのだとわかりました。くまえ ひできです。
4月から大阪に戻って男10人ほどでルームシェアをしています。一応、私物を置くスペースはそれぞれテリトリーとして確保しているのですが、今後更に住人が増えるかもしれません。
住人の数が多いので余りのスペースを増やすため、それと自分の私物の断捨離をするために自分の私物を置くスペースを小さくすることにしました!
現在の僕の私物を置くスペースは70ℓ容量のオリコン(折りたたみコンテナ)2個分です。2個を1個にすることでオリコン70ℓ相当のスペースを空けることができます。
昨日は要るものと要らないものを分けました。
1つのオリコンには引き続き入れておく私物を。もう1つのオリコンにはスーツケースにしまう奥にしまって持っておきたいものや使わないので手放して処分する物を入れました。
進捗はまた別の記事に書いてみます。
一度に一気に断捨離することはできませんでしたが、少しずつでも進んでいくことが大切だと僕は考えています。僕は少しずつでも前に進んでいるという感覚に快感を覚えるのだと気付きました。
予定より大幅に遅れても、それでもやっておいた方が良いこと
それは自分でやると決めたことだと思っています。何故かというとやっておかないと気持ちが悪いからです。くまえ ひできです。
毎日磨いている歯を磨かない日があれば気持ちが悪いのと同じ感じですね。
僕の場合はこのブログがそうですね。毎日書くと決めたのですが前に書かなかった日もありました。その時はモヤモヤと不快で調子が狂いましたね。自分でやると決めたことなので素直にやった方が精神衛生の点からも健全に居られます。
だから、どんなに進捗が滞っても、予定が大幅に遅れても自分がやると決めたことはやる。
そしてその地道な積み重ねが後から振り返って周囲に共有できる財産になる。そう信じています。
単調な作業も退屈ではない
目の前の作業に没頭するからです。どうしたら没頭するかというとクオリティやスピードをより高めようとしたら没頭します。くまえ ひできです。
最近は空いた日があったら日雇いの仕事をしています。服屋さんのバックヤードでの仕事ですね。
そこでは製品の衣類を段ボールから出してハンガーに掛ける作業をほぼずっとしています。
ずっと立ちっぱなしで大量なので単調で退屈な印象があると思うのですが、その仕事に挑む意識で感じ方はガラッとかわりますね。
一つの作業を時間内に終わらせるためにどのような配置、身体の使い方、作業の順番がより時間短縮に繋がるかあれこれ試行錯誤しています。
昔は時間を気にしながら終わらないかななど上の空で別の仕事をしていました(その仕事での作業も単調なので)。その時は時間が経つの本当に遅かったです。
しかし、最近は仕事のその作業に没頭しているから結構あっという間に時間が過ぎますね。
こうやって単調な作業でもより良くしようと努めたら充実した時間になります。
次々と流れ込む情報と上手く付き合うために
自分が知らなかったことを知り得る機会として受け入れていきたいです。
新年度になり新しい環境に身を置いた人も少なくない。僕もそうです。くまえ ひできです。
新しい情報が怒濤のごとく たくさん入ってきます。そんな時、新しい情報の流れに追われるか、攻めて乗れるかで立ち位置は全く違います。
こんなにたくさんの事を覚えないといけない。と圧倒されながら状況に追われるのは苦しいです。
新しいことを受け入れる時、攻めるような勢いで好奇心旺盛に挑んでいきたいもの。
一つ学んだら次はどうなるんだろうと更に深掘りし追及していく楽しさを見出だしていく過程は楽しみそのものだと思います。
そのためにアウトプットに必要なことだけをインプットするのでなく、広くインプットしてその世界観を味わいたいです。
すると学びが楽しくなり攻めの姿勢で挑めるようになるはず。
僕自身それを信じてやってみてまたどうだったかお知らせします。
家族の幸せのためにも自分のやりたいことに挑戦する
自分が情熱を注げられることに力を入れることで周りに感動を与えると人や物やお金などを動かし循環が生まれる。その中で紆余曲折はあるも最終的には家族も幸せに導くことができるのだと気付きました。
昨晩は「グレイテスト・ショーマン」という映画を観に行きました。くまえ ひできです。
現在、映画館で公開中の映画というのもありストーリーの内容は脇に置きますね。
家族のために仕事を頑張る、家族が居るから難は避けたい言われることがありますが、家族の幸せに対するエネルギー量は小さいと思います。個人が自分の身内のためだけを考えて必至で日々頑張ることは方向性として素敵だけど、やはり個人の力はたかが知れています。他人や社会にとって自分のためや自分の身内のためというのは正直どうでも良い話です。誰も興味ありません。
更に家族が居るからやりたいこと出来なくても仕方がないと家族のせいにしているという見方もできますよね。
でも、自分が社会に対してこんな価値を提供していきたい、こんな世界観を社会にもたらしたいと信じて活動されている人たちのエネルギーは凄まじいものです。
その凄まじいエネルギーが感動を与えて周りを巻き込みながら姿かたちを大きくし社会に対して徐々に影響をもたらす。
共感して協力してくれる人も増えれば、アンチとしての働きかけをする人も出てきます。だから個人では到底扱いきれない大きなことができるのだろうと思います。
そうなると人が集まってきたり人が離れていったりまさに紆余曲折となるけど、自分が情熱を持てることに対する活動に「諦めず」取り組んでいる背中は最後の最後の最後には家族も魅力的に映り、結果的に幸せに導かれるのではないでしょうか。と感じさせられる映画でした。
僕も安易に守りに入らず、自分の信じる道で幸せを与えられるようになるまで徹底しようと攻めの姿勢で日々暮らしていきます。