次々と流れ込む情報と上手く付き合うために
自分が知らなかったことを知り得る機会として受け入れていきたいです。
新年度になり新しい環境に身を置いた人も少なくない。僕もそうです。くまえ ひできです。
新しい情報が怒濤のごとく たくさん入ってきます。そんな時、新しい情報の流れに追われるか、攻めて乗れるかで立ち位置は全く違います。
こんなにたくさんの事を覚えないといけない。と圧倒されながら状況に追われるのは苦しいです。
新しいことを受け入れる時、攻めるような勢いで好奇心旺盛に挑んでいきたいもの。
一つ学んだら次はどうなるんだろうと更に深掘りし追及していく楽しさを見出だしていく過程は楽しみそのものだと思います。
そのためにアウトプットに必要なことだけをインプットするのでなく、広くインプットしてその世界観を味わいたいです。
すると学びが楽しくなり攻めの姿勢で挑めるようになるはず。
僕自身それを信じてやってみてまたどうだったかお知らせします。
家族の幸せのためにも自分のやりたいことに挑戦する
自分が情熱を注げられることに力を入れることで周りに感動を与えると人や物やお金などを動かし循環が生まれる。その中で紆余曲折はあるも最終的には家族も幸せに導くことができるのだと気付きました。
昨晩は「グレイテスト・ショーマン」という映画を観に行きました。くまえ ひできです。
現在、映画館で公開中の映画というのもありストーリーの内容は脇に置きますね。
家族のために仕事を頑張る、家族が居るから難は避けたい言われることがありますが、家族の幸せに対するエネルギー量は小さいと思います。個人が自分の身内のためだけを考えて必至で日々頑張ることは方向性として素敵だけど、やはり個人の力はたかが知れています。他人や社会にとって自分のためや自分の身内のためというのは正直どうでも良い話です。誰も興味ありません。
更に家族が居るからやりたいこと出来なくても仕方がないと家族のせいにしているという見方もできますよね。
でも、自分が社会に対してこんな価値を提供していきたい、こんな世界観を社会にもたらしたいと信じて活動されている人たちのエネルギーは凄まじいものです。
その凄まじいエネルギーが感動を与えて周りを巻き込みながら姿かたちを大きくし社会に対して徐々に影響をもたらす。
共感して協力してくれる人も増えれば、アンチとしての働きかけをする人も出てきます。だから個人では到底扱いきれない大きなことができるのだろうと思います。
そうなると人が集まってきたり人が離れていったりまさに紆余曲折となるけど、自分が情熱を持てることに対する活動に「諦めず」取り組んでいる背中は最後の最後の最後には家族も魅力的に映り、結果的に幸せに導かれるのではないでしょうか。と感じさせられる映画でした。
僕も安易に守りに入らず、自分の信じる道で幸せを与えられるようになるまで徹底しようと攻めの姿勢で日々暮らしていきます。
本当は悩みなんて無いんだな
悩みの大半が動いたら解決できる事、もしくは自分の力や人間の力ではどうにもならない事だからです。くまえ ひできです。
じっと考え込んで悩み続けるだけだと前に進めないけど、動きながら悩んだら動いている過程で解決することもあるので悩みが悩みとして存在できる可能性が低いです。
また、自分の力ではどうすることも出来ない物事や人間の力が及ばない物事に直面しても「どうすることも出来ない」ので悩むのを辞めます。
そう考えると
友人や知人への悩み相談の大半は悩みを解決してほしいから悩みを打ち明けているのではなく、単に聴いてほしい、悩みを共有したいだけなのではないかと思います。
愛するってなんだ?
自分の相手に対する好きという気持ちと愛することの違いが自分なりに見えてきました。
くまえ ひできです。
自分の好きという気持ちを相手にぶつけ続けることは愛することではない。僕なりに思った愛するとは相手を察して気にかけて向き合うことだと思います。
はじめましての人に声をかけてみる
初対面や知らない人に声をかけるまでは緊張するけど挨拶一言だけでも声をかけるとそれだけで緊張ほぐれますね。
今日は久しぶりの日雇いアルバイトをやってみました。くまえ ひできです。
服屋さんのバックヤードでの業務でした。服屋さんはお客さんとして服を買いに行くくらいで、アパレル関連の職場に関わること自体初めてだったので新鮮な気持ちでした。
初めての環境は全てが真新しく周りの人たちも大きな存在に感じられて不安もありますよね。
今回僕は単発の仕事なので初めての場所、初対面の人に囲まれての仕事でしたが挨拶1つするだけで緊張が大分取り除かれます。
更に挨拶にプラスして業務について質問一言訊いてみるだけでもお互いの緊張はよりほぐれます。
最近まではほとんど同じメンバーと過ごしてきていたので、今回のように真新しい環境に身を置くのも気付きがあって良いなと思いました。
ただやるだけでなくて・・
今日は大阪の阿倍野にて読書会を開催しました。くまえ ひできです。開催したのですが結局集まったのは僕一人だけでした。これを集まったと言えるかどうかは別ですが。
読書会を自ら始めたこと自体は自分でも凄いことだなと思います。でも、提供する相手がいなければただの自己満足になってしまいます。
今回の僕の読書会は本当に自己満足なんですよね。自己満足が良いならそれで良いんです。
でも、やる以上は東京で既に読書会を主催し続けている知り合いのように必要とされたい。
形だけで開催することではなく、それ以上に周りの人たちに僕は自分の提供するものをちゃんと伝えられているのか、必要とされることを目指して取り組んでいたのかを今一度見直してみます。
相手にとってわかりやすいか
自分にとってわかりやすいことでも相手にとってわかりにくい場合もあるので、伝え方の引き出しはできるだけ沢山あった方が良いですね。
今日、大阪の南森町駅の界隈で人と待ち合わせをしたのですが、待ち合わせ場所がわかりにくかったです。くまえ ひできです。
南森町駅は地下鉄で地上も特にこれといった目印もありません。
待ち合わせ場所の定番ですが、大阪梅田の阪急梅田駅にある大型スクリーン「ビッグマン」や東京の渋谷駅にある銅像「忠犬ハチ公像」などのピンポイントの目印があるとわかりやすいですけど。
今日は近くには精々、銀行がある、スーパーがあるなどしか言えませんでした。ただ、更にスーパーや銀行の店舗名って伝えても相手に通じることがほとんどありません。
東京滞在の時も仕事の買い出しでタクシーを使ったのですが、「セブンイレブン○○店まで」と言ったけど後から寄り駅を言った方が伝わっていたので人に伝える分には店舗名はあまり参考にならない情報みたいです。
でも、個人的には店舗名を言ってくれるとわかりやすいですね。店舗名だけ見ても確かに僕もわかりませんが、店舗名がわかれば店舗名をネット検索します。すると地図が出ますのでその地図を頼りに目的地を目指せます。
今回はスーパーや銀行が待ち合わせ付近にあることを伝える他にラインで待ち合わせ場所から見える風景写真を送ったり、待ち合わせ場所を見渡せるように地図の画像を送ったりしました。
最終的には通話でお互いの位置を確認しながら出会うことができました。待ち合わせ場所で人と会う以外にも一つのゴールに対してできることは何でもやっていきたいですね。