やりたいことは自分が諦めない限りどんな人でもやれる
今回、児童いきいき放課後事業のボランティアスタッフとして参加しに小学校に行ってきました くまえ ひできです!
この児童いきいき放課後事業とは大阪市による学童保育に似た取組みのことです。
今回はそこの小学校で小学1、2年生が中心の夏祭りイベントが行われました。
ドッジボールやスイカ割り、ボールすくいなどを外でやったので暑かったです。
そして、今回は小学校の教員を目指している現役大学生のボランティア指導員も数名参加していました。
学生でこのようなボランティアをしているということは教員を目指しているのかと思い、訊いてみたら思った通りでした。
子どもと関わるととてもエネルギー使いますが、やりがいは感じますね。
今回も子どもたちが笑顔になって楽しくその一時を過ごしてくれる様子を見てと、盛り上げ頑張ろうって気持ちが湧いてきました。子どもたちの存在が頑張る原動力になりましたよ。
もし僕が学生の立場で今回のボランティアに参加していたら、改めて僕も教員を目指していたのかもしれないです。
勿論、今からでも制度的に教員自体は目指せますけどね。ただ、学生という立場で目指すのと今の29歳の立場で目指すのでは訳が違います。
それに子どもに関わる仕事=学校の先生と限定するのは窮屈なものです。教員でなければならない必要性はないのです。あくまで教員になるというのは一つの選択肢に過ぎないのですから。
子どもと関わることを軸にした場合、そのような機会や環境は自分が知らないだけで色んな企業やNPO、活動などが潜在しているはずです。
また、仮に無くてもそのような場を自分でつくる手もあります。
つまり、自分の現状や立場は関係なく、自分の意思で今後の未来を自分で選択できるということですね。
だから、やりたいことは自分が諦めない限りどんな人でもやれる思います。
人に会ってみて良いきっかけをつくる
昨晩はコーチングのセッションを提供している方とお会いしました、くまえ ひできです!
最近はできるたけ個人的に人と約束して会う事をしています。
理由は二つあります。
一つは自分自身の何かしらの良い変化のきっかけをつくるためです。
せっかく時間を頂いたのだから、出会う前より出会った後の方が自分にとってプラスになる方が良いですから。
相手を文章で、写真で、音声で、映像で知ることはできます。それは相手が公開した部分的な情報だけど、実際会ってみると会話のやり取りが増えます。
更に相手の雰囲気や自分への態度などもわかるのでより相手のことを知れます。
会話をしてて、今の僕は何か目標を見つけた「つもり」になっていたことに気付きました。どうしてかというと、中々行動に移せなかったり、やるべきことに対してワクワクできずに不安を持っているからです。
更に僕にとっての幸せとはどんなものなのかを見出せていないため、本当に望む目標や目的も定められなかったのだと思います。
そして、その情報の中身だけではなく相手の表情や動き、声の調子などによって相手の伝えたいことがより伝わってきました。
例えるなら、音楽をCDで聴くのでなく、会場に赴いてライブで聴くの違いです。ライブで聴くと身体全体でその音楽の魅力を感じれますからインパクトは大きいですよね。
もう一つの会う理由は出会った相手のためにできることがあればやってみる機会を増やすためです。
同じくせっかく時間を頂いたのだから、相手にとっても自分と出会った時間は何かしらのメリットを感じる時間をつくれたらと思います。
自分のできることは限られてはいるけど、限られた中でも大なり小なりできることがあると信じています。
なので、相手がやってほしいことや望んでいることに応えられるようにアンテナを張っておきたいものです。
最初は掴みにくいかもしれません。僕は今回、自分へのアドバイスをいただいただけで、結局相手には何も与えることができなかったように思えます。
でもやはり、「自分のため」と「周りのため」はリンクしていますから両方の意識を持って人に会っていきたいものです。
意思>感情をベースとした行動パターンを身に付けるために
最近、自分の家の周りのゴミ拾いを始めました、くまえ ひできです!
初日、朝6時30分ごろから7時ごろまでトングとゴミ袋を持って外に出たのですが、恥ずかしいんです。
悪いことをやっているわけでないから恥ずかしがることはないのはもっともだけど、恥ずかしいんです。
路上のゴミ拾いをやっている姿はどこかの会社やNPOなどの活動としてやっている光景はまだ見ますが、1人でやるのは恥ずかしいです。
人があまりしないことをやるのは目立ちますもんね。感情としては恥ずかしいですが、意図としては目立ってほしいんです。もっと自信を持って自分をアピールしてほしいんです(親みたい)。
感情に振り回されて、自分の意思でやろうとする機会を逃すのは勿体ないですから。
更にゴミ拾いを開始した時も単にゴミを拾うだけでなく、そこですれ違う通行人に「おはようございます」と自分から挨拶をしながらやると決めました。
初め通行人2、3人とすれ違いました。が、やはり、恥ずかしい。気付かない振りをして避けてしまいました。まだまだだな。。
そうこうしている内に近所の住人らしき年配の男性が頑張ってねと声をかけてくれました。
その時の会話で初めてゴミ拾い中に声を出しました。人と会話しました。
こういうちょっとした出来事が起爆剤になるんですよね。それ以降、自転車は除いて通行人とすれ違う時はこちらから挨拶することができました。
最初に挨拶した人は僕の声が届いていなかったのか挨拶を返されなかったですが、それ以降声量を上げたり挨拶をするタイミングを調整していくと返してくれる人も増えてきました。
ちょっとずつで良い。感情に左右されるのでなく、自分の意思ですんなり動ける自分に着実になっていきますよ。
自分一人でもできることとしてのブログ投稿
先日、久しぶりに知人とカフェで待ち合わせて一時間ちょっとお話ししました くまえ ひできです!
その日、ブログをこれから始めようと話してくれて、改めて自分のブログ投稿について振り返ることにしました。
世の中には長年 毎日ブログを更新し続けて情報発信をしている人も少なくありません。
ブログにしても何にしても毎日しかも長年継続することは多くの人ができないだけにとても凄いことだと思います。
一つのことを継続するって一定量を超えたら、それだけでそのことのプロとして活きる領域に達することができます。
継続は偉大ですよね!
ブログの話に戻って、僕はブログを書き始めて期間としては2か月くらいだと思いますが、記事数自体は1か月弱ほどの量しか書いていません。
ブログを書く日、書かない日があり、書かない日は伝えたいことがありませんでした。
僕の伝えたいことがなかった日は現実から目を反らしててスヤスヤ眠っていたことが多いです。だから、別に誰かに伝えたいことなんてないんですよね。
ただ、そんな時に限って息苦しくなるんです。自分の決めた選択や行動をした上で、自分が誰かのために発信していくという流れが途絶えた時に益々しんどくなることに気付きました。社会から孤立した感じがきつかったです。
現実から目を反らして身を守っているようだけど、実際は自分からの働きかけや発信をせずに循環をつくらない状態が自分に悪影響を与えていました。
自分が書いて投稿したブログの閲覧数が少なくても、それを呼んで何かしら良い方に赴くことができた人がいれば良いんです!
更に、将来、未来の誰かが今の僕のブログを読んで良い方に赴くことだって可能性としてあります!
それだけ影響力のあるブログだから引き続き僕はブログを続けたいです。
誰かにより良いきっかけを与える手段の一つとしてより多くの記事を書いて投稿していきます。
自分のやるべき行動を決めるため課題する
昨日は新しい職場になるであろう家電量販店に行って来ました、くまえ ひできです!
今日から研修なのですが、お店をお店を見てきて気付きをまとめるよう課題をいただきました。
とは言っても課題を提出するために課題に取り組むのは非常に無駄なことです。
出題者からの良い評価を得るための課題の取り組む姿勢は勿体ないです。
人からの評価は自分を客観的に知るための要素の一つではあります。でも、それを目的とするのは違うと思います。
では、今回課題を通して僕は何を得たかというと自分は何をやるか、行動することを決めました。
課題をやって気付きや学びを得て、更にそれをもとに行動してみる。当たり前だけど疎かになりがちだから、あえて文にしました。
最後に今回の課題シェアします!
◯良かった点
・自分の担当以外の場所を案内ができる
→店舗のフロアやブースに何の商品あるかやトイレの場所を把握 また、店舗界隈にはお店などどこに何があるか把握
・販売員の横を通過した時の「いらっしゃいませ」の挨拶時に目をみてくれる
通路などでお客様への「いらっしゃいませ」は相手の目を見てやる
・販売員がお客様へ商品説明しているのを横で聴いてたら内容もはっきり聞こえる
→横にいる人に自分の話しているの内容が聞こえる大きさを基準に
・商品について聴きたいことがあることを察してくれて話しかけてくれる
→お客様の様子を観察しって、その時々どんなことを考えているのかイメージしてみる
・自分のことを話した時にポジティブな解釈や表現を使ってくれる
→日頃から物事を良い方に考えることを意識しながら生活してみる
◯より良くしたい点
・提案を提案者のペースやテンポで伝えてしまう
→話に相手がついていけてなさそうなら、話すスピードを下げたり、話についていけているか確認したり相手のテンポに合わせる
・自分が良いと思ったことを「~の方が良いですよね?」と押し付けない
→自分は良いと思うのですが、どう思いますかと相手の感じたことや価値観を確認してみる
◯その他気付き
・声掛けてからの流れは
質問(何か困っているのか、探しているのかなど)→現状把握(ライフスタイルやどんな製品使っているかなど知る)
→提案
◯やること
・今はキャリアは不明だけど、まずは通信業界全体を把握(キャリアによってどんな特徴があるのか違いを区別など)
→インターネットのキャリアの比較サイトなどを参考に
・店舗の各フロアに何があるのかを把握
→店舗の案内パンフレットを見る
・家電量販店の販売員の特徴をある程度イメージできるように
→販売員経験者のまとめたブログなど参考に
・普段の生活で笑顔、姿勢、顔は前を向く(対人で下見ずは目を合わせる)、
声の大きさ(自分が大きいと思うくらいがちょうどいい)
以上です!
隙間時間を使っての勉強のやり方
先日、とある学習相談会に参加してきました、くまえ ひできです!高校3年生の夏から偏差値40を上げて京都大学に合格した方の勉強法についてお話伺いました!
一応対象としているのは中高校生の子どもやその親だったのですが、新しいお仕事で色々覚えないといけない時期なので活かせると思い参加しました。
やはりわずかな隙間時間をいかに有効活用するかが大きいようです。
その隙間時間を有効活用するための第一ステップとして、まず自分ができることとできないことを仕分ける必要があります。
学校の勉強でいうと問題集をやったりテストをやって、答え合わせをするところまでです。丸だった、間違ってたとわかりますよね。
次にできなかったことに対してできなかったことだけに取り組む仕組みをつくります。そのために一か所にできなかったことを集めます。今回はノート一冊でできなかったことをまとめるやり方を教えてもらいました。
このノートの特徴を挙げると・・・
・問題を細分化して本質的な間違いを知ること(文章問題で間違ったのは正しく文章を読んでいなかったから?問題を解く方法を間違えたから?)
・極力文章で書かずに単語や記号で表す
・青色で書く
・自分の言葉で書く(いわゆるこうゆうことだと)
・ノート見開きのページ左に問い、ページ右に解
・一冊のノートに科目ごちゃまぜに収める
例えば、東から太陽が昇ることを覚えたい場合はこんな感じです。ノートのページ右に「太陽が昇る方角」と書いたらページ左に「東」と書きます。
このノートを現実と理想の差を取り除く「差取りノート」と仰っていました!
そして、この差取りノートをどのように使うのかというと・・・
・移動中の信号待ちなど10秒程度の隙間時間を利用
・ながら勉強(テレビ観ながらゲームしながら所々のちょっとした隙間時間に)
・アウトプットし失敗もする
・生活の一部のように(いつも見ている当たり前の情報にする)
また東から太陽が昇ることを覚えることで例えますね。移動中の信号待ちでノートの右ページの問いを見て答えます。左ページをみたら間違ったか正解かかわります。当たり前のように無意識に答えられるまで日々反復します。
一日数時間机にがっつりとしがみつくわけではないので、これならどのようなライフスタイルを送っている人でもやっていけますね!
今回学んだことを僕自身の新しいお仕事や他の活動も通して実践していきます。そのことも逐一シェアしますのでお楽しみに!
最後に、僕が今回参加した学習相談会が今月8月13日(日)の午前中に兵庫県神戸市で行われます。
更にその後、8月23日(水)に大阪の吹田市で、31日(木)に梅田でも開催予定らしいです。
今回お話しされたのは特定非営利活動法こどもごころの理事長をされている歌崎 雅弘さんという方です。こどもごころのホームページやこの学習相談会のフェイスブックページもシェアしますのでぜひご覧ください!
・特定非営利活動法こどもごころHP
http://kodomogokoro.or.jp
・8月13日の学習相談会facebookページ
http://qq2q.biz/Fcoz
「逆らえない現実」+「自分はどうしたいか」→動けた!
不調な時が続けば続くほど立ち直りが難しくなりますよね。
ブログ更新10日以上ぶりのくまえ ひできです!
僕はこの10日間くらいまた引きこもっていました。今回はネガティブな考え方しかできず、自分でもどうしようもありませんでした。
ただ、その間にも他人との必要な連絡のやり取りや約束はかろうじでやっていまして、
それが復帰の最初の鍵になったと思います。
外で人と会わずに家に居る時はネットを介してネガティブな気持ちをどうしたら取り除けるのか、または現実逃避のために安らぐBGMをyoutubeで探していたりもしていました。
この記事を書いた日は新しい仕事の面談に行っていました。この面談も時間が近づくにつれ行くのが億劫でした。でも、行かないと後悔する。と自分に鞭を打つ気持ちで外に叩き出しました。
面談では思いの外、自分の軸のないフラフラした経歴やその時々に感じたことや考えたことを話す機会があり、自分を良いように見せようとは思えず感じたことを率直に発しました。
面談の担当者は自分の話を親身に最後まで聞いてくれて、自分が覚悟を持って変わるように懸命に頑張るだけだと鼓舞してくれました。
メッセージ内容としては何を今更というものですが、それができていない自分がそこにいます。
正直なところ、僕は今までフラフラしてきて仕事にしてもその他の活動にしても関わる上で、勇気を持って覚悟を決めて信じて動くことができずにほとんどが中途半端でした。
どんな環境に行ってもどんな機会を得てもそれを信じ抜いて動き続けることができませんでした。そこなんですよね。
何を選択しても何かしら不安はあるし最初はできなくて普通。何度頑張ってもできないかもしれない。でも、続ける。できるようになるまで。
勿論、今のままを継続するのもマルです。自分の人生なので絶対的な答えはないですから。でも僕は今の自分のままを自分自身は本当に望んでいるか。そんなことはありません。
数年間ほどんど変化を感じない今の状態や状況は変えたいです。できるできないではなく、そう望むなら勇気持ってやるしかないのです。
でも、頭でそう考えてても実際に動けない。そんな時は確実な答えのある現実を振り返ることです。
例えばいつかは自分は死ぬし、いつ死ぬのかはわからない。過去は戻ってないなど。その上でどう自分が在りたいかを考えてみてみると動きやすくなりました!
人は僕に対して情けをかけて待ってくれるかもしれません。でも、時間の流れなど絶対的に逆らえない物事相手には従うしかないのです。
僕はそのようにして底無し沼から復帰できました!