青いクマが大好きなモノに囲まれて暮らすために通った跡

青いクマ〈未熟なくまえ〉が大好きなモノに囲まれて暮らすために自立を目指した課程の跡(記録)です。今を生きる人間としてその生き様を通して何かしら良いきっかけを与えられたらと思いこのブログを始めました。

追われるより追うには

先日、僕が前からお世話になっている歌崎 雅弘さんが電子書籍を出したので読んでみた。

くまえ ひできです。

昔、京都大学に進学された歌崎さんが京都大学合格までの道のりでの気付きを基に勉強の在り方について説いている。

具体的なテクニックなども紹介されているが、個人的に一番印象的だったのが「学びは複利」という考え方。

例えば、英単語だと一つの単語を覚えるとその単語の接頭語や接尾語などから関連付けで別の知らなかった英単語も覚えやすくなる。

元々、複利とは利子に利子が付くという意味。
でも、本にも書いているようにここで言いたいことは単に延々と苦行として詰め込むのでなく関連付けによりやればやるほど、できる幅も広がるということ。

「勉強は大変なものだ」と苦行にしか感じれないのは精々 我慢強くなるだけだけど、この考えで勉強するとやるほど好奇心がそそられる。僕は後者の方が楽しくて好き。

だから、もっともっと…と際限を感じない。このように自分が物事を追う姿勢って今後更に必要になってくると思う。


「自学力を育むさとり学習法」歌崎 雅弘著
http://urx.cloud/Ks7f


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前提を伝える

このブログを振り返ってわかるけど僕は「~と思う」と断定しない表現をよく使っている。こんばんは。くまえひできです。

「~と思う」という表現は曖昧で説得力に欠けるという認識が一般的だけど、僕はその表現を好んで使っている。

僕が「~と思う」と表すのは絶対的な正解でなく自分の意思や考えを言っていることを強調するため。

「人間は~なものだ」「世の中は~だ」など原理原則として ふんぞり返って唱えるのは浅はかで面白味がない。


でも、一般的な解釈をして曖昧で説得力に欠けていると思われることも多いはず。

すると僕は自分の意思や考えを言うために「~と思う」を使うことをその都度言い続けるしかない。

その前提を知っている相手であれば曖昧で説得力に欠けると勝手に解釈されることはない。

更に前提を事前に開示することで誤解を招かずに済む。

例えば風邪を引いて大きな声を出せない時には、
事前に風邪を引いているという前提を伝えておけば周りの理解や配慮も行き届きやすい。



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自分を守らない方が良いらしい

ネット上で知り合った人とお茶やご飯することが以前より増えた。くまえ ひできです。

ネット上でメールでやり取りをしても、メールは文字だけの表現だからその奥にある生身の人間の様子まではわからない。

でも、実際会っての対面だと相手の色んな情報を全身で感じることができ、自分も自分の色んな情報を全身で晒してしまうことになる。
だから、相手はどんな人物か、自分は相手からどう感じられているかが一番筒抜けになると実感した。

そんな意味で対面で人と会うって面白いし、今後はもっと積極的にやってみたいと思う。

元々、対面で人と会うことは元々面白いと思えなかったし、緊張して負担にしか感じなかった。
自分が緊張することで相手も緊張させてやり取りがぎこちなくなることもあった。

なぜ緊張したかというと自分が相手にどう思われているかが気になったため。ほとんど自分に意識が向いていた。相手を見ず自分を守ることばかりに気にしていたから反って苦痛になった。

でも、最近は自分と会ってくれる相手にとって会っている時間を良い時間として残してもらうためには?

という意識を持って人に会うようにしている。すると、自分への意識よりも相手への意識に集中していくのを実感できる。

相手への意識に集中できると冗談も挟みながら自分の持っているものを全面的に表現しやすくなる。

自分に不器用、気が利かない点があると自覚していても、目の前の相手に対して出来ることは何かに頭をフル回転させるしかない。

僕は対面で人と関わることの楽しさを垣間見た。相手のためにとはどういうものか感覚を少しずつ掴めるようになった。

ネットで知り合い、初対面でお会いできた人たちのお陰だと思う。



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青の可能性

丹羽宇一郎さんの「死ぬほど読書」という本を読んだ。くまえ ひできです。
この方の本は「私は~だと思う」という自分の主張を読者に押し付けないのが好感を持てる。

人の経験や体験、物事の原理原則は判断する上で役に立つ。しかし、それらが正解、正しいと安易に言い切るのは面白みを感じない。

例えば、集団になると怠けやすくなる「社会的手抜き」という現象があるけど、人の多い集団の中に自分がいるから自分も他者に依存して怠けるものだ決めつける必要はないと思う。

確かに傾向としてそのような現象は起こるだろうが、だからと言って自分を無闇にそこへ当てはめる必要はない。自分が怠けてしまう環境でも誰から期待されなくても主体的に動いていきたいなら動いていくだけだと思う。

そして、参考になる経験や体験、原理原則を無視することで人間の可能性、伸び代を感じる。

本にも書いていたけど、人間が知っていることは世の中の物事全体から考えるとほとんど知らないに等しい。人間の心身についても、宇宙についても、海底の世界についてもわからないことばかり。なのに、「人間とは~だ」など言い切るのは浅はかでそれ以上の可能性を感じない。

自分の知の外側は得体の知れない世界だからそこに新しい可能性を期待してしまう。

また、建築家である安藤忠雄さんの青いリンゴのお話を思い出した。リンゴは青いままが良いとのこと。青いとは未熟のこと。だからこそ伸び代や可能性があるのだということだと思う。

僕のブログのタイトルにも「青いクマ」と自分を未熟者として表現している。元々は成熟を目指していこうという気持ちがあったのだけど、青いまま良いやと思えた。

未熟、無知、未完成は僕に光を示してくれる在り方だと気付いた。

参考文献
・書籍「死ぬほど読書」(幻冬舎) 丹羽宇一郎
https://www.amazon.co.jp/dp/B07436NSJZ/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

・ネット記事
安藤忠雄さん、未来への提言「青いりんごであれ」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO21770600S7A001C1000000?channel=DF171020161225



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まずは自分と向き合って

先日ネットで、
カット料金1万2千円でもお客さんがたくさん来るという美容院があるという記事を見つけてギョギョっとした。くまえ ひできです。

コンビニよりも圧倒的に店舗数の多い飽和状態で有名な美容院だからその記事が気になった。

メインの顧客は男子学生や社会人1,2年目の男性でスタッフは技術でなく自分の経験や生き様を売っているとのこと。整髪のための技術はもはやオマケだなと思った。

そんなスタッフに普段は誰にも言えない自分の悩みや夢を打ち明けることができる機会として背中を押してもらっているお客さんが多い。そこに1万2千円ほどの価値が込められているのだと思う。

接客業として傾聴は当たり前だけど、若いお客さんがその美容院のスタッフに悩みや夢を打ち明けられる存在になったのは、
そこで働いているスタッフ自身も悩みや夢を開示することできるからだろう。

実際、この美容院を運営する会社では社内で自分の志を社員全員で共有して応援する組織づくりを徹底しているらしい。

夢を持て!などは色んなところで聞くが、夢をかかげることのできる環境や機会を仕組みとして実際に形にできるのはやはり凄い。

僕は会社の経営はしていないが、個人の僕もこの在り方は参考になった。どう参考になったのかというと、相手と信頼関係を築くにはまず自分自身も自分の悩みや夢に向き合って納得できる解を見出すことだと感じた。

その解は主観的なものでその時々で変化するものでも良い。ただ、その時々に信じているものがあって、その時々に自分の信じるものに向き合って貫くことができたら、僕にも相手が夢や悩みを共有してもらえる機会が出てくると思う。

そして夢や悩みをしっかりと話してくれる人は自分を信頼できる人なんだと思う。

なので僕ももっと自分の夢や悩みと向き合って解をより鮮明にしてみる。


『カット料金「1万2000円」でも若い男子が殺到する美容院の秘密』より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55501



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自分の持っているものを投げ出してみる

自分が得をしよう、見返りを得ようでなく自分のことを後回しにした方が上手く物事が回りそう。

昨晩、福厳寺住職の大愚元勝さんの動画を久しぶりに観ました、くまえ ひできです。

とは言っても損得勘定を捨てる、見返りを求めないこと自体はできないと思う。やったことに対して金銭や何かしらのお返し、感謝の言葉など受け取るものをイメージしてしまう。だから「無償の愛」という言葉もあるが、本当に無償な愛は無いと思う。

損得勘定で考えたり、見返りを求めることは人としてのいやらしさを感じるがそれら自体にいやらしさが含まれているかというとそうは思わない。損得勘定で考えたり、見返りを求めること自体は人として自然なこと。

損得勘定や見返り自体を否定するのではなく、それらを強く求める、つまり期待することを止めればいやらしさを感じることはないと思う。 自分がやったことに対して見返りを求めていることは客観的に認める。でもその見返りを得ることに執着はしないということです。

それができると本当に周囲のことを思って、自分のことを後回しにしてでも自分の持っているものを投げ出すことができるだろうと思う。

自分のことで置き換えると、
今僕は29歳の年齢にしては頭髪に白髪が目立つ。それに対して周囲からは「白髪多いね」と言われるだけで白髪をどうにかしないといけないという状況にはなっていない。

しかし、白髪が目立つと相手は「疲れているのかな」「ストレスたまっているのかな」
と無駄に心配をかける可能性がある。

その可能性を考えると今問題になっていなくてもその白髪をどうにかしないといけないという気持ちになる。

なので、白髪が含んでいても今まで支障なかったのだからわざわざやらなくていい、髪が傷むという考えを僕は投げ出したい。

値段が高いだろうが美容室などプロに頼めば髪へのダメージは軽減しやすいはず。手段はある。
それによって周囲が余計な心配をせずにいられるならそれに越したことは無い。

なので、今週中に白髪を染めに行ってきます。


「損得勘定を捨て、見返りを求めない生き方【無功徳】」(youtube)
https://youtu.be/M3aMiEezfOg



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もし自分が相手だったら

先日、松久信幸さんの
「お客さんの笑顔が、僕のすべて!」という本を読んだ。くまえ ひできです。

「お金をいただけるから~」「仕事だから~」「プロだから~」という意識も大事だけど、それらに安住せず、「お客さんの笑顔や喜んでもらうために」の次元まで徹底しているのが清々しく読んでいて気持ち良かった。

僕は人に喜んでもらったり笑顔になってもらったりすることはちょっとした自分の快感や原動力だとしか感じていなかった。

でも、自分が何か与えて人の喜びや笑顔になる時は「ありがとう」と言われることが多い。ありがとうだから有り難い事なので、それこそがあらゆる取り組みの目的になるのではとイメージ膨らむ。

理想ばかりひたすら追及することは地に足が付いていないようだけど、むしろだからこそ色んな人たちに愛される存在になれるんだと気付かされた。

いくら儲けようと考えることも売れるために考えることも大事だが、それに囚われず最終目的の人の喜びや笑顔に適った行動や選択しても活路を見出だすことできるのだと希望を感じる。

そして、お客さんに喜んでもらうため、笑顔のために周りに常に気を使ったり、その時々の最善のおもてなしをするという在り方も印象的。それらを実行するためにも「もし自分がお客さんだったら」を考えるようにするということ。

察すること、気付くことって難しいけど、「もし自分が相手だったら」と普段から考えることで身に付くかもしれないと思うので普段から色んな場面で意識してみようと思う。

「お客さんの笑顔が、僕のすべて!」
松久信幸 著
ダイヤモンド社
https://www.amazon.co.jp/dp/B00N1IIFM8/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1


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