青いクマが大好きなモノに囲まれて暮らすために通った跡

青いクマ〈未熟なくまえ〉が大好きなモノに囲まれて暮らすために自立を目指した課程の跡(記録)です。今を生きる人間としてその生き様を通して何かしら良いきっかけを与えられたらと思いこのブログを始めました。

自分に変化を感じられる瞬間は

先週 風邪をひいて、今週たま風邪を振り返しました。それにより健康状態がどれだけ有り難いことか実感しました くまえ ひできです!

今回の風邪はさすがに身体に効きました。何もできないくらい吐き気に襲われた。スマホやパソコンの画面見ても、歩いても、座っていても気持ちが悪かったです。

そんな状態を体験して普段、普通に起きて動いて寝ることのできることがどれ程素晴らしいことか思い知らされました。

よく「失って初めてその事の大切さがわかる」と言われます。

失うというのは手放したらもう二度と手元に戻ってこないという意味合いが強いのではないでしょうか。

実際に視力の低下を「視力を失う」と表現したり、死ぬことを意味する「命を失う」と表現します。

そう考えると回復の見込みのある風邪で健康を失うというのも少し大袈裟に感じられるかもしれません。

それでも、僕たちの普段の日常の中でも大きな出来事が起こらなくても何かを手放す出来事は色んな場面で起きているのだと思います。

更に手放すってことはその代わりに何かを得るってことでもありますよね。

変な表現ですが、僕は健康を手放して風邪の症状を得ました。

そして今は風邪の症状を手放しかけて健康を得ようとしています。

そうやって僕らは常に何かを手放しては何かを得るの繰り返しで生きているんですよね。

そんな流動的な日常の中から自分がずっと手放したくない価値を見付けて必至に離さない。その時 僕たちは自分に変化、成長を感じるのかもしれません。

お誘いを断られる3つの本当の理由

知り合いをイベントなどにお誘いするとき、そのお誘いの内容云々よりもお誘いする人次第で大きく違うと実感します。くまえ ひできです!

今週末に兵庫県加西市で地域活性のためのフィールドワークに参加します。

参加者する人皆の活躍を加速させるような内容だったので興味ありそうな人など数人に一緒に行こうと声をかけました。

ですが、一緒に行ってくれる人が締め切りまでに予定よりも集まりませんでした。そもそも、フィールドワークは今週末というのに先週末に声をかけるのは遅すぎるというのもありますが。。

でも、今回のこの結果は僕の普段の周りの人との関係性の現れだと思っています。僕が声を上げたら集まってくれるような関係性を築いてないだけです。

お誘いを断られるにしても人の数だけ断られ方があります。そこにはその人の背景だったり、その人と自分との関係が大きく関係しています。

オブラートに包んで断っても実際のところ、本当はどうして断ったのだろうかということを僕は考えます。メールなら文章、対面なら見聞きできる情報で察します。

そこで相手は本当はどうして断ったのかの理由を3つまとめました。

【断られる本当の理由】

●自分の状況に余裕ない
経済的、精神的な面で余裕ない。これは僕は誘われる側として結構あります。誘われた時に経済的に厳しくて参加できず、そのお金で他に自分にとって必要な物事に使うという場合。誘われた内容の緊急性低いんですよね。

あと、精神的に追い詰められている時もそれどころではないですね。本人が誘いに乗って元気になる見通しがあることだったら勇気持って参加するでしょうね。そう感じなければ自分のことをコントロールすることの方が優先だと思います。
その人その人のその時々の状況によって優先順位は変わるものなので見守っていたいですね。


●誘われた内容に参加するほど興味ない
上に似ていますが単純によく知らないということです。違いは誘われた側が上より自分が切羽詰まって追い詰められていないことです。

参加する余裕はあるけど、わざわざ時間やお金、労力をかけて参加するほどではないのです。

よく知らないのは誘う本人や誘う内容との接点がないからです。なので、日頃から接点をつくって触れる機会を増やして
沢山の情報を与えることは興味付けにつながります。


●自分だから
断った人は誘った自分に興味がないということです。自分に対する優先順位は低いですね。

これはまだお互いがお互いを理解していない時期に誘ってみるとよくわかります。相手は誘った人のことを知らないのでいきなり誘われたらビックリします。突然どうしたと。

誘った内容がどんなに素晴らしく有益なものであっても、誘った人がどんな人か知らないので不安になります。

不安もあれば、「誘った人は何を企んでいるのだろう」と悪く考えて疑うことだってあります。誘った人のことを知らないのですから当然ですよね。

だからそこ、逆にある程度お互いがお互いを理解している状態の人からのお誘いは受け入れやすいのです。

あの人はいつも周りの人のために頑張っている人だからきっと今回も僕のためとなる価値を届けてきてくれたんだろうなとなります。あまり誘った内容を理解できてなくてもです。

商売の世界でも聞いたことはありますが、何をするでなくで誰がするの点が大きく影響していますね。だから普段の人間関係が人を集めるいざという時に浮彫になります。


まとめ
・自分の状況に余裕のない人とも普段から関係性を築いていたら事情を考慮した上で適切なお誘いがしやすくなる

・普段から自分から自分の取組み表現したり良い情報を公開していたらその分野に興味ある人たちも自然に集まってくる

・普段から周りの人との交流を頻繁にしていたら自分に興味持ってくれる人も増える

以上です。全て「普段の行い」が誘った時に大きく影響していますね。
人をお誘いするっていうのは考えたら深いもんです。

ブレる気持ちをブレない気持ちにするためには

「毎日やることリスト」を挙げた後もできていない事が後を絶ちません!くまえ ひできです。

三日坊主もあれば一日坊主も、更にゼロ日坊主もありますからね。

確かに僕は意思が弱いから結構色んな事が長続きしません。

その時々の状況に影響受けて感情に振り回されてやったりやらなかったりブレます。

更に結局やらなかったら後から不快感を抱き後悔するのはわかっているのに繰り返しちゃいます。

でも、意思が弱いなら強く持とうではしっくりきません。

では、どうしたらその時々の感情に振り回されずに動けるのか考えて、今日(この記事書いている時点で昨日になりましたが)ある事に気付きました!

それは自分のイメージできるやりたいことや欲しいものが明確であり、その対象への道のりが明らかにすることです!

自分のワクワクする物事ために「毎日やること」があり、自分のワクワクする物事が原動力になって動けるという状態です。

自分とワクワクする物事と手段の「毎日やること」が一本の針金で繋がっているイメージです。

例えば、
僕は3万円のウォークマンが欲しい。そのウォークマンに大量の音楽を詰め込んでいるのをイメージするとワクワクする。

そんな状態になるために今できることとしてはウォークマンを買うための貯金。
その貯金の方法は毎日500円を貯めること。

。。すると60日間で3万円が貯まるので約2か月間毎日500円を貯めるという「毎日やること」ができます。

日常生活で500円あればちょっとしたお菓子や惣菜も買えますよね。だから、ちょっと小腹が空いたらついついその500円を使っちゃいます。

でも、その500円が自分の欲しいウォークマンを手に入れる一部になるのだとその500円の役割を明確にすることで食い止められる。結果、毎日500円を貯めて2か月後にはウォークマンを楽しんでいる。

そんな仕組みです。

とは言ってもこれは今回考えて実際にやるのは今からなので実証済みではないです。でも色々試行錯誤している人にとって一つのヒントになるかもしれないから実証前からお伝えしました!

仮に僕ができても人ができるとも限らないし逆もまた然りですからね。

考えただけのことでもまず表現しないと何も起こらないものです!

何故、蓮は汚い泥中で清らかな花を咲かすのか

そういう設定だからです。くまえ ひできです!

僕はこれまで進学や就職、転職、その他もろもろ自分で決めることを周りの意見や価値観に流されて決めてきました。

今は昔に戻ってやり直したいと後悔しています。しかし勿論戻れません。だから、現実を直視して今の現状をいち早く変えていかないといけません。

僕の場合は生活や支払いのために働くという在り方を脱する。そして場所にこだわらず、働きたいと思った人たちと働けるようにならないといけません。

そのために僕はどう在るべきか。ふとある花のことを思い出しました。それが蓮の花です。

蓮の花は「一蓮托生」や「泥中の蓮(はちす)」など仏教関係の花としてよく出てきます。

蓮の花を改めて調べてみたら、蓮の花は汚ければ汚い程 大輪の花を咲かせることができるとのこと。
(参考 https://joyfulday.info/archives/1671 )

それが蓮の設定です。

つまり、僕もどんな環境に身を置いても自分の掲げた在り方に向けて花を咲かせる。そんな設定でいくことです。

今回は特に抽象的な概念の話だけでしたが、それだけでも心持ちは良好になりますよ。

自分の意思に従った方が健康的

先日、体調崩して寝込んでゴミ拾いができませんでした。くまえ ひできです!

あと、このブログにしてもそうですが、前回「毎日やることリスト」で挙げたものが中々できずに滞っています。

http://aoikumanoato.hatenablog.com/entry/2017/10/07/010705

色んな状況が重なって仕方がないよね。。で済ますこともできます。

実際に今日は止めておこうと思った瞬間は仕方がないよねでしっくりしていました。

でも、後になって自分の中で悶々としてきました。
他人に言われたことならまだしも、自分の意思で決めたことなのに出来ていないのが胸糞悪い。

その時々の環境や状況がどうであっても、自分のやると決めたことをやりとげた先には、、

何が見えるのだろう。

何を感じるのだろう。

何が起こるのだろう。


今となってはそこに惹かれています。流されるように惹かれていけば良いのです。

好きなものは好きでいい。

やりたいことはやればいい。

欲しいものは手に入れればいい。


例えば、このブログ。

一日を振り返って今日はダメダメだった。だから発信者として自分は誰かのためになるような内容を発信できないので止めよう。

文字で表現することが本当に嫌いならやらなくて良いですよね。でも、僕は少なくとも興味あるからブログを開設しているのです。

やはり自分のその時の不調を言い訳にして書かないを選択するとその瞬間ホッとします。でも、自分の気持ちに嘘を付いているので不快感は残留します。

不調であっても書きたいのが自分の気持ちなら素直に書けばいいのです。そう自分にも言いながら今このブログを書いています。

試行錯誤し心身に鞭を打ちながら素直に惹かれたものに導かれて行くのはある意味、健康的な人の在り方なのかもしれません。

ゴミ拾いをやる意味の移り変わり

ほぼ毎日家の近所でゴミ拾いをしていますが、今回はちょっと離れた地域で行いました。

しかも最近で知り合った女性が僕のゴミ拾いに共感してくれて参加してくれました。

その女性とは5円食堂という飲食店イベントで知り合ってゴミ拾いのことを話したら「自分の地域でやる時はやってみたい」を言ってくれました。

なので、今回は家の近所でなく違う地域でのゴミ拾いでした。

日曜日の朝、本来なら家でコーヒーを飲みながらゆっくりと過ごしても良いのに敢えてゴミ拾いに参加してくれたことに感激しました。

自分の取り組みに共感してくれたため参加してくれました。

そもそも僕がゴミ拾いを始めたのは仕事も他にやることもなくただ引きこもっていた今夏にそんな自分でもできることはないかと思い付いてからです。

単にゴミを拾うだけでなく、自分を外の世界に一日でも早く馴染ませようということで通行人に挨拶もしてみました。

通行人に挨拶したら「ご苦労様」「ゴミ拾いありがとう」と言われることもあり微力でも役に立てているのだということも実感できました。

そんな経緯によりゴミ拾いを通して近所での挨拶が定着、近所との関係が築けて個人が孤立しない糸口になるのだ。

そこから都市部でも近所同士で支え合う地域環境を創る一助となれると考えました。

しかし、ゴミ拾いの様子をSNSで挙げながら更にゴミ拾いを続けていくと徐々に僕のゴミ拾いが知っている人が増えていってます。

周りの人たちからは行動して続けられて凄いとそこを評価してもらうことがよくあります。確かに自ら行動を起こして更に続けるって簡単な内容でも意外と難しいですからね。

ただ、そこから気付いたのがこのゴミ拾いを通してどんな人でも、たった一人からの小さなスタートであっても地域のためにできることはあるというメッセージを発信できるということです。

そのためゴミ拾いも自分のできる範囲でゴミを拾うようにしています。

拾ったゴミを自分で持って帰り破棄するので、それが難しいゴミは拾いません。

タバコの吸殻一本拾うだけでも自分のできることを始めていることになります。

全くやっていない時の0とタバコの吸殻一本拾った時の1は全然違う。その事を強調しながらこれからもゴミ拾いに取り組んでいきます。

自分のためを超えた先に他人のため

昨日やることリストを挙げてみて、~できるようになる!と自分にベクトルばかり向けていると「自分の事しか考えていない」「周りのことまで考えていない」と捉える人もいるかもしれません。

こんにちは、くまえ ひできです!

一見自分の事しか見えてない、考えていないように見えるかもしれませんが、違います。その程度に留まりません。

自分が目標を達成したり何かをできるようになることの先に他人のため世の中のためがあります。

どんなに他人のため世の中のためと思っていても思うだけなら何も始まりません。やはり自分に何かしらの力を身に付けるしかないのです。

勿論、他人を蹴落としたり騙したりして自分のために動くことは独りよがりであり自他共に良いことは起こりません。

なので、自分のためと力をつけることによって、その先どのように他人のため世の中のために繋がるのかイメージまでした方が良いです。

自分が目標を達成したらどのように達成したらいいのか人に導くこともできますし周囲も「自分も頑張ろう」と希望になりなります。

自分が何かをできるようになれば、その分周りの人たちの悩みや困りごとに寄り添って解決することができます。

僕の場合は例えばゴミ拾いは自分のできることを増やすために行っています。更にそれに留まらず、ゴミ拾いを頻繁に行う様を見て自分一人でもできることを新たに始めようとする人もいるかもしれません。

他人は自分に関心ないとも言われますが、他人は自分を意外と見ているとも言います。

誰かが自分を見て良い方向に感化されている。周囲にそんな影響力を与える自分になれるって良いなと思います。