青いクマが大好きなモノに囲まれて暮らすために通った跡

青いクマ〈未熟なくまえ〉が大好きなモノに囲まれて暮らすために自立を目指した課程の跡(記録)です。今を生きる人間としてその生き様を通して何かしら良いきっかけを与えられたらと思いこのブログを始めました。

苦しい時こそ自分を拠り所に

販売の仕事の研修期間中ですが、同時に実際の販売現場となる店舗を数件面接を受けているところでもあります。くまえ ひできです!

でも、中々決まりません。商品やサービスで覚えることも沢山あり圧倒されて正直及び腰にもなります。

このような様で不安ばかりですが、今回は研修担当者の指導の下、立ち振る舞い方など色々試行錯誤して自分を改良中です。

今まででしたら、現状を見て無理なんだ、合わないんだと諦めていました。しかし、僕の場合は今諦めてしまったら今までの自分を延長せるだけで何も変わりません。

僕はどう変わりたいかというと自由になりたいです。特に仏教用語として自由を解釈した場合の自由を望んでいます。


仏教用語としての自由とは自分を拠り所にするということです。自由の「由」には拠り所という意味があります。

よく見聞きする自由の解釈で「自由には責任が~」などもありますが、自由という言葉をそのまま用いた「自分を拠り所にする」という解釈が僕はしっくりきて好きです。

仏教用語としての自由はyoutube動画にて大愚元勝さんの番組「一問一答」を視聴して知りました。

『「自由」の本当の意味を知っていますか? 』↓
https://m.youtube.com/watch?v=dp78S7NDv0I

この番組はお坊さんの大愚元勝さんが仏教や本人の経験などから視聴者の悩みを解決に導く番組です。

動画はたくさんあって、共感できる悩みもいくつか出てくると思いますので視聴おススメです!


今不安いっぱいで課題もたくさんあったとしてもそれらを自分で着実に乗り越えていくことで限りなく頼れる自分に近づきます。

自分が拠り所になっていれば環境がどうでも、状況がどうでも、立場がどうであっても怖いものはありません!

そんな境地では僕は何を感じて、周りがどう見え、周りからはどのように映るのか。自分の知らない世界としてとても興味があります!

学校に行く行かないは問題ではない

9月に入り多くの学校では新学期がスタートした頃ですね。くまえ ひできです!

しかし、夏休みが終わるころから久しぶりに学校に行くことに苦痛を感じる人たちも少なくありません。

18歳以下の自殺は夏休み明けの9月1日が一番多いと出ており「9月1日問題」として呼ばれています。

学校に行くことが身体的に、精神的に苦痛に感じている。でも、学校に行かないといけないと板挟みになっている人たちもいるということです。

周りのほとんどの同級生が学校に行っているのに自分は学校に行かない。それで大丈夫だろうか。自分の選択は正しかったのだろうか。。。と、不安だと思います。

そんな時には、学校の同級生や先生、家族だけに限定せずにもっと色んな人の人生や生き様を見てみると良いです。

例えば、学校にまともに行っていなくても、貧困状態でも日々を謳歌していたり後々大活躍している人はたくさんいます。

自分の身の回りの人たちの常識だけが全てではないということです。幸い現代は本やインターネットで人のことを知ることは容易ですし、更に存命の人であればコンタクトを取ることも不可能ではありません。

自分の知っている世界なんてたかが知れています。自分の知っている以上に良くも悪くも世界は広いものです。

学校に行く行かないということ自体は本来重要なことではないはず。一つの環境として学校というものがあるだけなので、行く行かないどちらでも良いのです。

それよりも結局自分がどうしたいのかです。色んな人生や生き様があることを知ればそこにたどり着くと思います。

その結果、学校という環境を活用したり、それ以外の環境を選べば良いのです。

学校に行けないことを悲観するのでなく、学校に行っても馴染めないことを嘆くのでもなく、もっと外の世界を見てみましょう。そうしたら、楽しくなるかもしれませんよ!

と学生ではないけど、僕自身にも「世界を広く見ろ」と言い聞かせながらの記事でした。

自分が無意識に使っている表現を知る

「何というか、そのような感じです!」

の様に「何というか」「~な感じ」という表現は幼いから止めなさいという指摘を頂きました、くまえ ひできです。

指摘を受けるまでは表示をピンポイントに認識できませんでした。認識できない程にそのような表現が習慣になってたということでしょう。

今回、販売の仕事で店舗に立つために派遣元の担当者と先方の元へ面接に行ってきました。上記は面接後、面接を担当者と振り返った時の話です。

自分の表現は意識して確認しない限り、変えることもできません。

だから、表現について他人から指摘を貰った時は自分の表現を意識できるチャンスです。

「そんなことはない!」「直してみよう」など指摘の内容をどう受け取るかはその都度自分で選べばいいですけど。

更に自分のことでなくても「無意識に使っている表現」を挙げた話題に出会うのも意識できるチャンスです。まさにこの記事!

自分の習慣に流されずに適宜、自分の意思で表現を選べることができるときっと気持ち良いはずです!

やりたいことは自分が諦めない限りどんな人でもやれる

今回、児童いきいき放課後事業のボランティアスタッフとして参加しに小学校に行ってきました くまえ ひできです!

この児童いきいき放課後事業とは大阪市による学童保育に似た取組みのことです。

今回はそこの小学校で小学1、2年生が中心の夏祭りイベントが行われました。

ドッジボールやスイカ割り、ボールすくいなどを外でやったので暑かったです。

そして、今回は小学校の教員を目指している現役大学生のボランティア指導員も数名参加していました。

学生でこのようなボランティアをしているということは教員を目指しているのかと思い、訊いてみたら思った通りでした。

子どもと関わるととてもエネルギー使いますが、やりがいは感じますね。

今回も子どもたちが笑顔になって楽しくその一時を過ごしてくれる様子を見てと、盛り上げ頑張ろうって気持ちが湧いてきました。子どもたちの存在が頑張る原動力になりましたよ。

もし僕が学生の立場で今回のボランティアに参加していたら、改めて僕も教員を目指していたのかもしれないです。

勿論、今からでも制度的に教員自体は目指せますけどね。ただ、学生という立場で目指すのと今の29歳の立場で目指すのでは訳が違います。

それに子どもに関わる仕事=学校の先生と限定するのは窮屈なものです。教員でなければならない必要性はないのです。あくまで教員になるというのは一つの選択肢に過ぎないのですから。

子どもと関わることを軸にした場合、そのような機会や環境は自分が知らないだけで色んな企業やNPO、活動などが潜在しているはずです。

また、仮に無くてもそのような場を自分でつくる手もあります。

つまり、自分の現状や立場は関係なく、自分の意思で今後の未来を自分で選択できるということですね。

だから、やりたいことは自分が諦めない限りどんな人でもやれる思います。

人に会ってみて良いきっかけをつくる

昨晩はコーチングのセッションを提供している方とお会いしました、くまえ ひできです!

最近はできるたけ個人的に人と約束して会う事をしています。

理由は二つあります。


一つは自分自身の何かしらの良い変化のきっかけをつくるためです。

せっかく時間を頂いたのだから、出会う前より出会った後の方が自分にとってプラスになる方が良いですから。

相手を文章で、写真で、音声で、映像で知ることはできます。それは相手が公開した部分的な情報だけど、実際会ってみると会話のやり取りが増えます。
更に相手の雰囲気や自分への態度などもわかるのでより相手のことを知れます。


会話をしてて、今の僕は何か目標を見つけた「つもり」になっていたことに気付きました。どうしてかというと、中々行動に移せなかったり、やるべきことに対してワクワクできずに不安を持っているからです。

更に僕にとっての幸せとはどんなものなのかを見出せていないため、本当に望む目標や目的も定められなかったのだと思います。

そして、その情報の中身だけではなく相手の表情や動き、声の調子などによって相手の伝えたいことがより伝わってきました。

例えるなら、音楽をCDで聴くのでなく、会場に赴いてライブで聴くの違いです。ライブで聴くと身体全体でその音楽の魅力を感じれますからインパクトは大きいですよね。


もう一つの会う理由は出会った相手のためにできることがあればやってみる機会を増やすためです。

同じくせっかく時間を頂いたのだから、相手にとっても自分と出会った時間は何かしらのメリットを感じる時間をつくれたらと思います。

自分のできることは限られてはいるけど、限られた中でも大なり小なりできることがあると信じています。

なので、相手がやってほしいことや望んでいることに応えられるようにアンテナを張っておきたいものです。

最初は掴みにくいかもしれません。僕は今回、自分へのアドバイスをいただいただけで、結局相手には何も与えることができなかったように思えます。


でもやはり、「自分のため」と「周りのため」はリンクしていますから両方の意識を持って人に会っていきたいものです。

意思>感情をベースとした行動パターンを身に付けるために

最近、自分の家の周りのゴミ拾いを始めました、くまえ ひできです!

初日、朝6時30分ごろから7時ごろまでトングとゴミ袋を持って外に出たのですが、恥ずかしいんです。

悪いことをやっているわけでないから恥ずかしがることはないのはもっともだけど、恥ずかしいんです。

路上のゴミ拾いをやっている姿はどこかの会社やNPOなどの活動としてやっている光景はまだ見ますが、1人でやるのは恥ずかしいです。

人があまりしないことをやるのは目立ちますもんね。感情としては恥ずかしいですが、意図としては目立ってほしいんです。もっと自信を持って自分をアピールしてほしいんです(親みたい)。

感情に振り回されて、自分の意思でやろうとする機会を逃すのは勿体ないですから。

更にゴミ拾いを開始した時も単にゴミを拾うだけでなく、そこですれ違う通行人に「おはようございます」と自分から挨拶をしながらやると決めました。

初め通行人2、3人とすれ違いました。が、やはり、恥ずかしい。気付かない振りをして避けてしまいました。まだまだだな。。

そうこうしている内に近所の住人らしき年配の男性が頑張ってねと声をかけてくれました。

その時の会話で初めてゴミ拾い中に声を出しました。人と会話しました。

こういうちょっとした出来事が起爆剤になるんですよね。それ以降、自転車は除いて通行人とすれ違う時はこちらから挨拶することができました。

最初に挨拶した人は僕の声が届いていなかったのか挨拶を返されなかったですが、それ以降声量を上げたり挨拶をするタイミングを調整していくと返してくれる人も増えてきました。

ちょっとずつで良い。感情に左右されるのでなく、自分の意思ですんなり動ける自分に着実になっていきますよ。

自分一人でもできることとしてのブログ投稿

先日、久しぶりに知人とカフェで待ち合わせて一時間ちょっとお話ししました くまえ ひできです!

その日、ブログをこれから始めようと話してくれて、改めて自分のブログ投稿について振り返ることにしました。

世の中には長年 毎日ブログを更新し続けて情報発信をしている人も少なくありません。

ブログにしても何にしても毎日しかも長年継続することは多くの人ができないだけにとても凄いことだと思います。

一つのことを継続するって一定量を超えたら、それだけでそのことのプロとして活きる領域に達することができます。

継続は偉大ですよね!

ブログの話に戻って、僕はブログを書き始めて期間としては2か月くらいだと思いますが、記事数自体は1か月弱ほどの量しか書いていません。

ブログを書く日、書かない日があり、書かない日は伝えたいことがありませんでした。

僕の伝えたいことがなかった日は現実から目を反らしててスヤスヤ眠っていたことが多いです。だから、別に誰かに伝えたいことなんてないんですよね。

ただ、そんな時に限って息苦しくなるんです。自分の決めた選択や行動をした上で、自分が誰かのために発信していくという流れが途絶えた時に益々しんどくなることに気付きました。社会から孤立した感じがきつかったです。

現実から目を反らして身を守っているようだけど、実際は自分からの働きかけや発信をせずに循環をつくらない状態が自分に悪影響を与えていました。

自分が書いて投稿したブログの閲覧数が少なくても、それを呼んで何かしら良い方に赴くことができた人がいれば良いんです!

更に、将来、未来の誰かが今の僕のブログを読んで良い方に赴くことだって可能性としてあります!

それだけ影響力のあるブログだから引き続き僕はブログを続けたいです。

誰かにより良いきっかけを与える手段の一つとしてより多くの記事を書いて投稿していきます。