青いクマが大好きなモノに囲まれて暮らすために通った跡

青いクマ〈未熟なくまえ〉が大好きなモノに囲まれて暮らすために自立を目指した課程の跡(記録)です。今を生きる人間としてその生き様を通して何かしら良いきっかけを与えられたらと思いこのブログを始めました。

青の可能性

丹羽宇一郎さんの「死ぬほど読書」という本を読んだ。くまえ ひできです。
この方の本は「私は~だと思う」という自分の主張を読者に押し付けないのが好感を持てる。

人の経験や体験、物事の原理原則は判断する上で役に立つ。しかし、それらが正解、正しいと安易に言い切るのは面白みを感じない。

例えば、集団になると怠けやすくなる「社会的手抜き」という現象があるけど、人の多い集団の中に自分がいるから自分も他者に依存して怠けるものだ決めつける必要はないと思う。

確かに傾向としてそのような現象は起こるだろうが、だからと言って自分を無闇にそこへ当てはめる必要はない。自分が怠けてしまう環境でも誰から期待されなくても主体的に動いていきたいなら動いていくだけだと思う。

そして、参考になる経験や体験、原理原則を無視することで人間の可能性、伸び代を感じる。

本にも書いていたけど、人間が知っていることは世の中の物事全体から考えるとほとんど知らないに等しい。人間の心身についても、宇宙についても、海底の世界についてもわからないことばかり。なのに、「人間とは~だ」など言い切るのは浅はかでそれ以上の可能性を感じない。

自分の知の外側は得体の知れない世界だからそこに新しい可能性を期待してしまう。

また、建築家である安藤忠雄さんの青いリンゴのお話を思い出した。リンゴは青いままが良いとのこと。青いとは未熟のこと。だからこそ伸び代や可能性があるのだということだと思う。

僕のブログのタイトルにも「青いクマ」と自分を未熟者として表現している。元々は成熟を目指していこうという気持ちがあったのだけど、青いまま良いやと思えた。

未熟、無知、未完成は僕に光を示してくれる在り方だと気付いた。

参考文献
・書籍「死ぬほど読書」(幻冬舎) 丹羽宇一郎
https://www.amazon.co.jp/dp/B07436NSJZ/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

・ネット記事
安藤忠雄さん、未来への提言「青いりんごであれ」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO21770600S7A001C1000000?channel=DF171020161225



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