自分は生きている限り、切っても切れない存在だから。
昨日7月17日(月)丸一日を寝て過ごしてました、くまえ ひできです。
昨日は外でのお仕事や人との約束は入れてなかったものの、やることは決めていました。でも、朝起きてまた寝て、昼過ぎに目が覚めてどうでもよくなりまた寝て目が覚めたら夜中でした。
どうでもよくなるとありますが、一度失敗して(失敗とはここでは起きて活動できなかったこと)もう予定通りにいかなかったのでもうダメだと開き直っていることを意味しています。
ここ最近のことではなく、10代の学生時代からこんなことが頻繁にありました。何年も同じことを繰り返して、さすがに胸糞悪いです。それに誰かが死んだようなどうしようもない気持ちで一杯です。
でも人が死ぬのと時間が過ぎるのは同じことなのかもしれません。自分は今もピンピン生きていますが、昨日2017年7月17日のくまえ ひできとして今を生きることはできません。
過ぎたことを咎めたり、悔いたりしてもどうしようもないことはわかっているものの、それが自分の人生の中で起こった事実であることを信じたくない。できることなら、他人が自分を見限り諦めるように自分も見限り諦めたいと考えても仕方のないことをぐるぐる考えていました。
でも、他人が自分を手放すことはできても自分は自分を手放すことができないのなら、どんな時でも自分を奮起させ、背中を押してくれる存在も自分しかいないのだということに繋がりました。自分がもっとも頼りになる存在って結局自分なのだろうと感じました。
僕は今までの時間の使い方や生き方を振り返ると自分のことを大切にできているとは思いません。自分の人生を粗末に扱った自分を許せません。
と同時に今からの残りの自分の人生、自分には僕のために尽くしてもらおうと頼りにしています。