青いクマが大好きなモノに囲まれて暮らすために通った跡

青いクマ〈未熟なくまえ〉が大好きなモノに囲まれて暮らすために自立を目指した課程の跡(記録)です。今を生きる人間としてその生き様を通して何かしら良いきっかけを与えられたらと思いこのブログを始めました。

必死に生きていない人はいないのです

こんにちは、くまえ ひできです!

1週間以上期間が空いての久しぶりに記事を書きました!その間、特に仕事など以外で居る間はずっと寝ていました。何もする気になれませんでした。体調不良で寝込んでいた訳ではなく、外界の情報を遮ったほぼ現実逃避ですね。


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そんな中、僕の周りでは(特にSNS)有名人の死去のニュースにより「いつ終わるかわからない自分の命だから悔いなく一日一日を大切に生きていきたい」みたいなことを呟いている人も少なくありません。

そんな人たちから見たら僕は自分の人生を大切にしていない、人の命を冒涜していると捉える人たちもいるだろうと思います。僕自身も後から振り返ってどうしてこんな時間の使い方をしたのだろうかと不快な気持ちが込み上げてきました。

でも、それでも周りの皆と同じ、必死であることには変わりないのです。何故なら不快な気持ちになったり、後悔するのはそれだけ必死だからではないでしょうか。

あの人は必死さが足りないということも聞くと思いますが、そうであっても どんな立場、状況の人であっても皆必死に生きています。各々、その時々によって必死になっている物事やレベルが人によって異なるだけですね。

子どもの時に人前で発言するかどうかについて必死に考えていた時期がありました。でも、今は発言したいことがあれば発言すべきと決着はついています。それよりも今は、発言してどうしたら相手に自分の思いのままに発言内容が届くのかという点で必死に考えるようになりました。このように必死になる中身が変わるだけで何かしらに対して必死であることには変わりないってことです。


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ただ、その時期をその必死にエネルギーを注いてきた跡が積み重ねてきた時間として残ります。その時に自分の生き方や在り方としてこのままで良いのだろうかと考え直す機会がつくれます。

なので、僕はこれまでを振り返った時に自分の人生にどんな時間の積み重ねてみたいかと思った時にハッとなって僕は突き動かされましたね。

このブログを書くのもそもそも伝えたいことを思いのままに発してみたいから始めたので今の僕の必死の対象も変わりつつあります。