煩雑であることが良い点
認知症の高齢者が暮らす老人ホームでお仕事をさせて頂いている。
認知症への段階として
検証者 MCI 軽度、中度、重度認知症とランクが付けられている。
MCIとは和名にすると軽度認知障害のことであり、認知症ではない。軽度から認知症に当てはまる。
認知症の予防には生活習慣の見直し、脳機能トレーニングが必要となる。
生活習慣は飲食や運動、睡眠、ストレスとの付き合いの改善など。
脳機能トレーニングとは脳を働かせること 日記を書く、計画をする、料理を同時に複数作るなど。
今回、「認知症ねっと」というサイトで認知症チェックテストがあったのでやってみたのだけど、僕は認知機能に異常は無いと出た。
今までの覚えが悪いのは単に僕の努力不足や工夫が足りないだけだったので良かった。
「認知症ねっと」
https://info.ninchisho.net/
多様性がわかる本
先日27日に読書会を開催しました、僕一人だったけど笑
くまえ ひできです。
その読書会は自分が読んで日常生活で活かしたい内容をアウトプットして皆で共有するという会だった。僕一人だったけど笑
その時に僕が持参した本は『SNSを超える「第4の居場所』という最近出た本。この本はかつて僕がネットラジオをやっている時に属していた放送局の共同代表 岡田尚起さんと佐藤大輔さんのお二人によって書かれたもの。
共同代表お二人の背景や他にもラジオパーソナリティ数名の様々な人生も書かれてて本当に色んな人や立場、人生があるなと実感する一冊だった。
ちなみに僕のことも少し載ってた笑
人よりも凄い凄くないなどと天秤にかけることのできない「多様性」が生々しくも温かく書かれている。
例えば、「頑張っている人を応援することに理由はいらない」という考えを持った人がこの本に出てくる。
それに対して僕は正直このセリフだけを聞くとしっくりこない。何かしらの見返りを心の奥底で密かに期待して働きかけてしまうのが正直なところ。
今までは、頑張っている人を応援することに理由はいらないと考える人は凄い人、そんな考えができない自分はまだまだダメな奴なんだと思うのが定着していた。
しかし、どちらが優れているか正しいかでなく、考えていることが違うだけだと気付けた。
やはり、そんな自分の考えも受け入れてくれるような温かい一冊だった。
僕はこの本を日常にどう活かしたいかというと、
改めて自分や他人も善悪、良し悪しの安易な価値判断するのでなく、そんな在り方があるんだと ただ受け止める癖をつけていこうと思う。
そうすることで僕は穏やかな人間で在りたい。
『SNSを超える「第4の居場所』のAmazonページ
↓
https://www.amazon.co.jp/dp/B07FSM3VCQ/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
自分一人からできること
今月7月27日(金)の朝に大阪の阿倍野で読書会をやることにしたのだけど、facebookのイベントページでページをなぜか「非公開」から「公開」にできない。。。。
なので今、解決方法を調べ中のくまえ ひできです!わかり次第すぐにイベント詳細ページをシェアします!!!
知っている人は知っていると思うのだけど、僕は今年度4月に同じく阿倍野で読書会をやったけど一回ぽっきりだった。
でも今回、自分から発信できるものを発信したくて、いや、発信しないといけない気がして再開することにした。読書会のタイトルや趣旨は異なるけど今自分ができる精一杯の自分の取り組みをやっておきたい。
そんな思いもあったためか「活かす」をテーマにした「読んだ本が活きる読書会」というタイトルになった。
自分でイベントを主催するのは初心者同然だけど、最近ならネットや本にもやり方や方法などは調べたらすぐに出てくる。良い時代になったと思う。
そう考えるとまず自分一人でできることはいくらでもある。
※追伸・・イベントページ公開できました!
http://urx3.nu/L21G
ナメられるのはしょうがない
「~をナメるな」と人から言われたり、こいつは僕のことをナメているなと感じる場面は今までにある。くまえひできです。
でも、ナメるなと言ってもナメてしまうのだからしょうがない。相手が自分をナメること、自分が相手をナメることが悪いわけではない。
相手にナメられるだけのモノを晒してしまったのだからナメてしまうのはしょうがない。
「ナメるな!」と表面的に抑え込むことでナメた「態度」は消せるけど、ナメしまう気持ちまでは消すことができない。
自分をナメている相手を咎めても自分がナメられるだけの人物であることに変わりはない。
人からナメられたら他人にナメられるだけの自分が在るだけで、それが嫌ならナメられる要素を人目に付かないように隠すか、ナメられる要素を無くすしかない。
だから、ナメられても いたずらに悩むことはないと思う。
追われるより追うには
先日、僕が前からお世話になっている歌崎 雅弘さんが電子書籍を出したので読んでみた。
くまえ ひできです。
昔、京都大学に進学された歌崎さんが京都大学合格までの道のりでの気付きを基に勉強の在り方について説いている。
具体的なテクニックなども紹介されているが、個人的に一番印象的だったのが「学びは複利」という考え方。
例えば、英単語だと一つの単語を覚えるとその単語の接頭語や接尾語などから関連付けで別の知らなかった英単語も覚えやすくなる。
元々、複利とは利子に利子が付くという意味。
でも、本にも書いているようにここで言いたいことは単に延々と苦行として詰め込むのでなく関連付けによりやればやるほど、できる幅も広がるということ。
「勉強は大変なものだ」と苦行にしか感じれないのは精々 我慢強くなるだけだけど、この考えで勉強するとやるほど好奇心がそそられる。僕は後者の方が楽しくて好き。
だから、もっともっと…と際限を感じない。このように自分が物事を追う姿勢って今後更に必要になってくると思う。
「自学力を育むさとり学習法」歌崎 雅弘著
http://urx.cloud/Ks7f
前提を伝える
このブログを振り返ってわかるけど僕は「~と思う」と断定しない表現をよく使っている。こんばんは。くまえひできです。
「~と思う」という表現は曖昧で説得力に欠けるという認識が一般的だけど、僕はその表現を好んで使っている。
僕が「~と思う」と表すのは絶対的な正解でなく自分の意思や考えを言っていることを強調するため。
「人間は~なものだ」「世の中は~だ」など原理原則として ふんぞり返って唱えるのは浅はかで面白味がない。
でも、一般的な解釈をして曖昧で説得力に欠けていると思われることも多いはず。
すると僕は自分の意思や考えを言うために「~と思う」を使うことをその都度言い続けるしかない。
その前提を知っている相手であれば曖昧で説得力に欠けると勝手に解釈されることはない。
更に前提を事前に開示することで誤解を招かずに済む。
例えば風邪を引いて大きな声を出せない時には、
事前に風邪を引いているという前提を伝えておけば周りの理解や配慮も行き届きやすい。
自分を守らない方が良いらしい
ネット上で知り合った人とお茶やご飯することが以前より増えた。くまえ ひできです。
ネット上でメールでやり取りをしても、メールは文字だけの表現だからその奥にある生身の人間の様子まではわからない。
でも、実際会っての対面だと相手の色んな情報を全身で感じることができ、自分も自分の色んな情報を全身で晒してしまうことになる。
だから、相手はどんな人物か、自分は相手からどう感じられているかが一番筒抜けになると実感した。
そんな意味で対面で人と会うって面白いし、今後はもっと積極的にやってみたいと思う。
元々、対面で人と会うことは元々面白いと思えなかったし、緊張して負担にしか感じなかった。
自分が緊張することで相手も緊張させてやり取りがぎこちなくなることもあった。
なぜ緊張したかというと自分が相手にどう思われているかが気になったため。ほとんど自分に意識が向いていた。相手を見ず自分を守ることばかりに気にしていたから反って苦痛になった。
でも、最近は自分と会ってくれる相手にとって会っている時間を良い時間として残してもらうためには?
という意識を持って人に会うようにしている。すると、自分への意識よりも相手への意識に集中していくのを実感できる。
相手への意識に集中できると冗談も挟みながら自分の持っているものを全面的に表現しやすくなる。
自分に不器用、気が利かない点があると自覚していても、目の前の相手に対して出来ることは何かに頭をフル回転させるしかない。
僕は対面で人と関わることの楽しさを垣間見た。相手のためにとはどういうものか感覚を少しずつ掴めるようになった。
ネットで知り合い、初対面でお会いできた人たちのお陰だと思う。