青いクマが大好きなモノに囲まれて暮らすために通った跡

青いクマ〈未熟なくまえ〉が大好きなモノに囲まれて暮らすために自立を目指した課程の跡(記録)です。今を生きる人間としてその生き様を通して何かしら良いきっかけを与えられたらと思いこのブログを始めました。

毎日やることリスト

新しい仕事を始めてから、色々やることや仕事の時間が増えてライフスタイルを見直す時期になりました くまえ ひできです!

前回は仕事から帰ってゴミ拾いをしようと思っても、いつの間にか眠ってしまいました。。。

今のままでは外で仕事をやって帰って家では食べて寝るの繰り返しです。

僕は最近になって場所に縛られないライフスタイルを実現しようと決めました。

なので、現在のライフスタイルのフリーの時間をどう使うのかが今後のライフスタイルを決めていく鍵になります。

まず、その限られた時間を使い毎日行い習慣化することをリストにしてみました。

これだけのことは最低限やるというリストです。それさえできたら残りのフリーの時間は本当にフリーです。


・ゴミ拾い(20分)

・部屋の掃除(10分)

・メルマガ読んで一記事一つやること増やす(9人分)

・ブログ読んで一記事一つやること増やす(7人分)

・本読んで一冊一つやること増やす(三日に一冊)

・ブログを一日一記事書く

Facebookで一日一投稿以上書く

・割り箸使った笑顔の練習(料理や食器洗い時)

外郎売を読む


以上です。やることリストは今はこれらのみですが、今後日に日に増えていきます。

しかし同時に減らすことも目指します。減らすということは毎日の習慣として完全に定着することを意味しています。

リストに挙げなくても自分の身体の一部の様に定着できている状態がゴールです。

やらないことリストもあるみたいですが、今はやることに集中してみます!

0と1の差を表すゴミ拾い

先日まで続けていたゴミ拾いを昨日の金曜日初めてお休みしました。くまえ ひできです!

今までゴミ拾いを毎日継続することに執着していました。更にただ惰性やっているだけ、単なる自己満足に陥っていたので嫌気がさして中断して頭を冷やすことにしました。

始めて数日程度なら単に継続するだけでも凄いなと自分でも実感してきました。でも、一か月以上経った今となっては継続すること自体に意味は感じなくなりました。

このゴミ拾いはFacebookなどのSNSで記録としてよくゴミ拾いの投稿をします。そこでは周りは続けていることに対して凄いと褒めてくれます。

褒めてくれて嬉しいし、続けること自体は確かに凄いのだけど、ただその状況に留まっている感じがしてそれでも続けたいと思わなくなりました。

そして、最近 数日間ゴミ拾いを離れたのですが、ゴミ拾い休んで良かったです。

またゴミ拾いはこの記事を書いた後すぐに再開しますけど。

継続してきたことに対して評価してくれた人にとってはゴミ拾いを中断したことはガッカリなことだと思います。

その点の期待に応えられなかったのは自分でも残念ですし申し訳ないです。

ただ、ゴミ拾いをやっている自分でなくやらない自分として客観的に自分のゴミ拾いを見直す時間になったのも確かです。

これからは僕はこのゴミ拾いを通して誰でも些細なことでも自分の役割を拡大させることはできる、0と1の差は大きいことを表現していきます。

どう表現されるのか今後の展開をお楽しみに!

気持ちが不安定な自分を抜け出すためには

損得に執着し過ぎず、行動した過程に価値を見出してみることです。お疲れ様です、くまえ ひできです。

効率良く早く成果を出せることは良いことだと思いますが、それに執着し過ぎると自分が不安定になります。

不安定になると起きた出来事に一喜一憂して焦ったり、狼狽えて自分の判断や行動に影響が出るようになります。

僕の場合はやるべきことがあっても行動を起こせずにただ時間だけが過ぎるということが多々ありました。
そこから切羽詰まったものの振り切って気付いたことが今まで僕は損得に執着し過ぎだったということです。

損得で選ぶこと自体は大切なことですが、そればかりに執着してしまうと行動が鈍くなります。

なので今は損得の結果以上に行動した過程に対して価値を考えることにしています。

すると、少しずつですが行動量がまして取り組みが加速してきました。

半月以上前から毎日取り組んでいるゴミ拾いも行動した過程に価値を見出す取り組みの一つです。

ゴミ拾いを行うことですぐに何かの成果や利益に結び付くことはありません。

ただ、毎日積み重ねているという事実が自分に自信を与えてくれます。

僕はすぐに成果や利益に結び付かなくても辛抱強く生きていることができるんだと。

因みにゴミ拾いを始めてから友人の勧めでイエローハットの創業者である鍵山秀三郎さんの本などの情報に触れるようになりました。

鍵山さんの情報を色々見ていると「大きな努力で小さな成果を」というフレーズが目がとまりした。

これは『小さな成果に甘んじるということではなく、小さな成果にも耐えていけるような気持ちを切り替え、生き方を安定させていく』(「掃除に学んだ人生の法則」致知出版社 P27)
ということです。

つまり、周りの環境や状況に左右されずに自分の取り組みの価値を見出すことで、揺ぎ無い自分を確立していきます。

じっと待っていても時間だけが過ぎるだけです。なので非効率で小さな成果しか得られないことであっても、自分のできることであるのなら是非やってみると良いですね!

ゴミ拾い続けて良かったこと3つ

近所のゴミ拾いを先月中旬から毎日始めてから43日が経過しています。くまえ ひできです。

あ、43という数字には特別な意味はありません。記事を書いた時点でのゴミ拾い回数が43回というだけです。

時間帯はバラバラですが1日30分間自分の家の近所で個人が管理し破棄できる範囲内でゴミを拾っています。例えば、タバコの吸殻や缶、ペットボトル、食べ物の袋など。
更にゴミを拾いながら通行人とすれ違った時に挨拶をやるようにしています。

そんなゴミ拾いを継続して良かった点を3つ挙げてみます!


○一つの事を継続して習慣化できる
僕は元々色んなことが続かずに習慣化するのが苦手です。でも8月中旬から始まって毎日継続できています。自分の意思でやると決めることができたから続けられています。あと、ゴミ拾いをしながら挨拶をすると「ありがとう」と返ってきてそれが嬉しいのもあります。


○得られる成果が小さくても自信に繋がる
一人で30分間、自分の拾えるゴミのみ拾っても地域の美化には到底遠いです。ゴミ拾っても翌日にはすぐに散らかることはよくあります。
「だから無駄ではないのか」というと、違います。ゴミ拾いを行ったという事実が自分を揺るぎない自信に導きます。


○自分が携わる一つの分野を新しく築ける
ゴミ拾いに関わって自分の改善以外にゴミ拾いの活動を通して自分は地域に何をもたらしたいかを考えるようになりました。

僕は挨拶とゴミを拾う習慣が定着することで近所との関係が築け、各々の孤立化を見直すの糸口にしたいです。

そして、都市部であっても近所同士で支え合う地域環境をつくる一助となりたいという基盤を築きました。

単なるゴミ拾いでも展開していくと無縁社会の見直しも視野に入れるようになり世界がひろがります。

以上です。今後も継続していけば、更に恩恵を感じることになるでしょうね。


○まとめ
ゴミ拾いをやったら。。
・継続力を付けて習慣化がしやすくなる
・気持ちの安定感が増す
・一つの分野を基盤として様々な分野への進出の兆しができる

苦しい時こそ自分を拠り所に

販売の仕事の研修期間中ですが、同時に実際の販売現場となる店舗を数件面接を受けているところでもあります。くまえ ひできです!

でも、中々決まりません。商品やサービスで覚えることも沢山あり圧倒されて正直及び腰にもなります。

このような様で不安ばかりですが、今回は研修担当者の指導の下、立ち振る舞い方など色々試行錯誤して自分を改良中です。

今まででしたら、現状を見て無理なんだ、合わないんだと諦めていました。しかし、僕の場合は今諦めてしまったら今までの自分を延長せるだけで何も変わりません。

僕はどう変わりたいかというと自由になりたいです。特に仏教用語として自由を解釈した場合の自由を望んでいます。


仏教用語としての自由とは自分を拠り所にするということです。自由の「由」には拠り所という意味があります。

よく見聞きする自由の解釈で「自由には責任が~」などもありますが、自由という言葉をそのまま用いた「自分を拠り所にする」という解釈が僕はしっくりきて好きです。

仏教用語としての自由はyoutube動画にて大愚元勝さんの番組「一問一答」を視聴して知りました。

『「自由」の本当の意味を知っていますか? 』↓
https://m.youtube.com/watch?v=dp78S7NDv0I

この番組はお坊さんの大愚元勝さんが仏教や本人の経験などから視聴者の悩みを解決に導く番組です。

動画はたくさんあって、共感できる悩みもいくつか出てくると思いますので視聴おススメです!


今不安いっぱいで課題もたくさんあったとしてもそれらを自分で着実に乗り越えていくことで限りなく頼れる自分に近づきます。

自分が拠り所になっていれば環境がどうでも、状況がどうでも、立場がどうであっても怖いものはありません!

そんな境地では僕は何を感じて、周りがどう見え、周りからはどのように映るのか。自分の知らない世界としてとても興味があります!

学校に行く行かないは問題ではない

9月に入り多くの学校では新学期がスタートした頃ですね。くまえ ひできです!

しかし、夏休みが終わるころから久しぶりに学校に行くことに苦痛を感じる人たちも少なくありません。

18歳以下の自殺は夏休み明けの9月1日が一番多いと出ており「9月1日問題」として呼ばれています。

学校に行くことが身体的に、精神的に苦痛に感じている。でも、学校に行かないといけないと板挟みになっている人たちもいるということです。

周りのほとんどの同級生が学校に行っているのに自分は学校に行かない。それで大丈夫だろうか。自分の選択は正しかったのだろうか。。。と、不安だと思います。

そんな時には、学校の同級生や先生、家族だけに限定せずにもっと色んな人の人生や生き様を見てみると良いです。

例えば、学校にまともに行っていなくても、貧困状態でも日々を謳歌していたり後々大活躍している人はたくさんいます。

自分の身の回りの人たちの常識だけが全てではないということです。幸い現代は本やインターネットで人のことを知ることは容易ですし、更に存命の人であればコンタクトを取ることも不可能ではありません。

自分の知っている世界なんてたかが知れています。自分の知っている以上に良くも悪くも世界は広いものです。

学校に行く行かないということ自体は本来重要なことではないはず。一つの環境として学校というものがあるだけなので、行く行かないどちらでも良いのです。

それよりも結局自分がどうしたいのかです。色んな人生や生き様があることを知ればそこにたどり着くと思います。

その結果、学校という環境を活用したり、それ以外の環境を選べば良いのです。

学校に行けないことを悲観するのでなく、学校に行っても馴染めないことを嘆くのでもなく、もっと外の世界を見てみましょう。そうしたら、楽しくなるかもしれませんよ!

と学生ではないけど、僕自身にも「世界を広く見ろ」と言い聞かせながらの記事でした。

自分が無意識に使っている表現を知る

「何というか、そのような感じです!」

の様に「何というか」「~な感じ」という表現は幼いから止めなさいという指摘を頂きました、くまえ ひできです。

指摘を受けるまでは表示をピンポイントに認識できませんでした。認識できない程にそのような表現が習慣になってたということでしょう。

今回、販売の仕事で店舗に立つために派遣元の担当者と先方の元へ面接に行ってきました。上記は面接後、面接を担当者と振り返った時の話です。

自分の表現は意識して確認しない限り、変えることもできません。

だから、表現について他人から指摘を貰った時は自分の表現を意識できるチャンスです。

「そんなことはない!」「直してみよう」など指摘の内容をどう受け取るかはその都度自分で選べばいいですけど。

更に自分のことでなくても「無意識に使っている表現」を挙げた話題に出会うのも意識できるチャンスです。まさにこの記事!

自分の習慣に流されずに適宜、自分の意思で表現を選べることができるときっと気持ち良いはずです!